講座の内容記録 2010

舞台芸術論
『ドキュメンタリー演劇とは何か』
Vol.1「演劇における〈ドキュメンタリー的〉なもの―その方法と可能性をめぐって」
 
2010年10月10日(日) 13時〜15時
森山 直人
(演劇批評家)

《所 感》

本レクチャーは、ドキュメンタリー映画の歴史を概観することによりドキュメンタリー映画と演劇の結びつきを捉え、「演劇における<ドキュメンタリー的>なもの」とは何かを考察していくものであった。その際、「関係性」という言葉が重要なキーワードとなっていた。ドキュメンタリー映画における作り手と被写体の関係性と、演劇における俳優と観客の関係性は類似するものがあり、両者が互いにどのように関係を構築していくのかが作品の出来に深く関わっている。

「演劇」という言葉の指す範囲が拡張し続けているなかで、「ドキュメンタリー演劇」とは何なのか、そもそも「演劇」自体をどう捉えていけばよいのか、あるいは、何が「虚構」で何が「現実」なのかを考える重要な手がかりが得られたレクチャーであった。しかし、結局「演劇」が捉えどころのないものであるということに変わりはなく、逆に捉えどころのない曖昧なものであるからこそ、そこに「演劇」の無限の可能性が見出せるのではないかと感じた。
記録:園部友里恵(東京大学大学院教育学研究科修士課程在学)
1. 「ドキュメンタリー演劇」の問題
近年、「ドキュメンタリー演劇」という言葉を耳にする機会が増えた。本レクチャーのタイトルは、「ドキュメンタリー演劇」を、「演劇における<ドキュメンタリー的>なもの」という言葉にあえて言い換えている。そこには、「ドキュメンタリー演劇」、すなわち「ドキュメンタリー」と「演劇」の問題がある。この問題は、19世紀の後半から20世紀全体に渡り、演劇と映像メディアが作り出すイメージの問題に直結してくる。この問題は管見の限りではきちんとしたアプローチで論じられているものはあまりなく、今後きちんと論じられるべき問題である。本レクチャーにおいて、「演劇における<ドキュメンタリー的>なもの」に対して、決定的な体系や結論めいたものを示すことはできない。そこで、どのようにこの問題を考えるようになったのかというところから話を進めることにする。そうすることでこの問題の本質的な部分に触れ得るかもしれない。
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