シリーズ講座『舞台芸術の現在』
Vol.2「グローバリゼーションの時代における演劇的抵抗と実践」
2009年10月2日(金) 19時〜21時
鴻 英良
(演劇批評家)
《所 感》
演劇とともに思考する。現在の日本において、この実現性はアプリオリであるのか。
この問いへの回答は、否定的であった。しかし、停滞状態にある現実に対して、かすかな抵抗は可能だと言うものだった。ソ連崩壊後加速したグローバリゼーションの時代に現れた苦境に人はいかにして立ち向かうことができるのか。本講座は、氏が演劇を考えるうえでの軸として参照する、閉塞した状態に対するブレヒト的抵抗(F・ジェイムソン)を基に、観客が演劇をみるという行為の中にある意識的能動的な参加とは何かを問うものであった。日本における実践としてモレキュラーシアター、ポルトBの上演形式を検証し、9.11以降ブッシュ政権下において格闘のうえ死に至ったS・ソンタグ(がんによる病死)への追悼として行われたM・アブラモビッチのパフォーマンス作品Thomas Lips、ベルギーの植民地であったルワンダで起った大虐殺を取り上げた9時間にわたる舞台『ルワンダ94』で国際的に物議をかもしたグルポフ(ベルギー)の今後の活動を、海外の重要な事例として提示した。
資本主義下で遂行される暴力の可視化、その具体的な演劇的抵抗と実践を解説した氏によって、演劇とともに思考することの未来への詩片が示されたのである。
記録:塩田典子(早稲田大学大学院文学研究科芸術学(演劇映像)専攻修士課程修了)
1.はじめに
舞台芸術の現在という問題について、個別的に考えていこうとする場合、例えばフランス、アメリカなどの舞台を中心にして話すというやり方もありますが、私はむしろ、舞台芸術の展開の中でどのようなことが起っているのか、その見取り図を全体として構想しなければならないと思っているのです。そうしたことを考える時、僕は演劇批評家なので、僕にはいくつかの参照軸があります。何かが起こっているとき、それがどのような意味を持つのか、あるいは、何かを観ている時に、それがどのような意味を持っているのかを考えていこうとするとき、参照事項として何かがないと、そうしたものについて考えていくのが難しいのです。
2.演劇を考える軸
2−1. 後期アングラ小劇場とその時代
こうした問題について具体的に話していく前に、個人的なことをちょっとだけいいますと、私が演劇を見始めたのは1970年代の終わりなので、日本におけるアングラ、小劇場運動が、最後の輝きを見せていた頃でした。そのころ、演劇は現実と激しい緊張関係を持ち、演劇的な活動そのものが現実と密接に関連していました。演劇が現在と切り結んでいく瞬間について考えることが、つまり、1977、78年から82、83年にかけて、寺山修司、鈴木忠志、唐十郎たちが何を考えていたのか、そしてそれがその時代とどういう関係にあったのかというようなことを考えることが、私がいま演劇とともに何かを考えたり、構想したりするときの一つの軸になります。