『公共劇場の運営 ―世田谷パブリックシアターを事例に―』
Vol.1「世田谷パブリックシアターの開館まで 〜設立の経緯〜」
2010年5月12日(水) 19時〜21時
矢作 勝義
(世田谷パブリックシアター劇場部)
《所 感》
世田谷パブリックシアターの事例を通じて公共劇場の運営を考える、全5回のレクチャーシリーズの第1回目として、世田谷パブリックシアターの現在までの経緯とともに、現在の事業活動の原点であり、運営の指針でもある事業計画大綱にある基本構想を確認した。
今の状況を頭の片隅に置き、約10年とも言われる時間をかけて練り上げられた基本構想を振り返る中で、興味深く感じた点は大きく二点ある。まず、世田谷区の持つ地域特性を生かす、新たな文化の創造発信の拠点が必要とされた背景。そして、従来には無い形での「公共劇場」のあるべき姿について、コンセプトと事業計画を綿密な検討を重ね、導き出したプロセスとその内容の完成度である。理念なき「文化ホール」ではない。事業計画大綱では地域と劇場にかかわる全ての要素を網羅した全体観を示している。時代や環境の変化を超えて今に通じる「原点」と、そこに立ち返ることの重要性を改めて感じる回であった。
記録:橋本旦子(学習院大学大学院人文科学研究科身体表象文化学専攻博士前期課程)
1. 背景と沿革:計画からオープニング、現在まで
○ 背景(世田谷区の状況)
- 世田谷区は、当時23区内最大の面積(現在は大田区が面積最大)・人口約80万人
渋谷区や新宿区、品川区のように大きな商業地区が存在しない
→企業活動による収入より、高額所得者による納税が大きなウエイトを占める
- 各地区に区民会館が存在するほか、東宝の撮影所や多摩美術大学などの施設があり、区民に芸術家が多数いる等、文化への関心が高い
- 大場啓二区長の長期政権(1975年〜2003年)
⇒福祉や教育だけでなく、文化的な事業を提供していくことも区の役割として重視