宮崎県三股町の演劇フェスティバル「まちドラ!」のつくり手|地域の人とつくるオルタナティブな演劇
近年、従来の形に捉われない、地域の人とつくるさまざまな演劇実践が全国で展開されている。商業ベースに乗らないこれらの取り組みは、確かな成果を生み出しながらも、その上演の機会の少なさ、再演の不可能性において、人目につきにくい、評価されにくいものだ。
世田谷パブリックシアターでは、舞台芸術活動と地域社会との結びつきから生まれる新たな可能性を、公共劇場として追及してきた。本シリーズは、各地で実践されている「地域の人とつくるオルタナティブな演劇」の取り組みについて、事業に関わったつくり手に話しを聞き、その知恵の在りかを探るものである。
2026年2月11日のゲストは劇団こふく劇場主宰・劇作家・演出家である永山智行さん。永山さんは、三股町(宮崎県)の演劇フェスティバル「まちドラ!」のディレクターをつとめている。
「まちドラ!」は、体験型戯曲講座「カクドラ!」、リーディング公演「ヨムドラ!」、演劇公演「ミルドラ!」の3つのコンテンツから構成され、町を舞台に展開する演劇祭。2012年よりスタートし、劇団こふく劇場と町民の方々が、人と人との関わりを丁寧に紡いで、つくってきた。
今回「まちドラ!」を開催するに至った経緯、永山さんが活動を通して大切にしていることを伺った。当日お話されたことの一部を紹介する。
※SPTラボラトリーとは
様々なバックグラウンドを持つ人たちが集まり、演劇ワークショップと社会の関わりについて、互いの関心や課題を持ち寄り、思考、実験、育成し合うことを目的とした、世田谷パブリックシアターの人材育成事業。

レクチャー当日の会場
目次:
[1]まちドラ!が生まれるまで
■劇場は、つくり手と観客の約束の場
■幼い頃に参加したあの劇団が、今も続いていること「みまた座」
■助ける・助けられるが逆転する?「みやざき まあるい劇場」
[2]まちドラ!とは
■町が舞台、町民が出演者にもなる演劇祭「まちドラ!」
■外へ出て、内に招く
[3]地域の人とつくる演劇で大切なこと
■あるものからはじめる
■50%のコツコツと、50%のたまたま
■劇場は、つくり手と観客の約束の場
宮崎県の都城市(みやこのじょうし)に「劇団こふく劇場」を構えて36年、現在は隣の三股町にある文化会館のフランチャイズカンパニーとして活動している永山智行さん。演劇をはじめたのは高校時代。演劇が盛んな東京学芸大学に進学後も携わっていた。「劇団こふく劇場」を立ち上げたのは、大学卒業後、地元である宮崎でだった。
「高校の演劇部の先輩後輩に声をかけて。劇団を作ってはみたのですが、宮崎でそんなに長くやるつもりはありませんでした。
ところが、いざ公演をしてみると、数十人のお客さんが来てくださって、アンケートに『面白かったです、また来ます』と書いてくれて。その言葉を見て、『あ、またやらないといけないな』と思ったんです。」
当時は言葉にできなかったが、今振り返ると次のような感覚があると永山さんは語る。
「井上ひさしさんがよく、『何もできていないのにチケットを買ってくれるなんて詐欺じゃないか』とおっしゃっていました。本当にそうだと思うんです。劇場とは、まだ形のないものを挟んで、つくり手と観客が『いつ、どこで会うか』という約束を交わし、その日にその場所に集まってくる。つまり劇場は『約束の場所』なんですね。当時は言葉にできず、なんとなく感じていただけですけど、その小さな約束を果たすためにズルズルと続けてきて、今があります。」

レクチャー当日の永山智行さん
■幼い頃に参加したあの劇団が、今も続いていること「みまた座」
永山さんが現在拠点を置く三股町に「三股町立文化会館」が誕生したのは2001年のことだ。2004年から、劇団こふく劇場はこの会館の「フランチャイズカンパニー」として活動を開始する。そこで最初に取り組んだのが、こどもたちのための演劇ワークショップ「みまた座」であった。
活動内容はシンプルだ。小学4年生から中学3年生までのこどもたちが、毎週木曜日の夕方に会館へ集まり、6月から3月まで約10ヶ月かけて演劇ワークショップを行い、最後に作品を上演する。この活動は、すでに22期を数える長寿プロジェクトとなっている。
「続けてきて一番嬉しいのは、当時『みまた座』にいた子が今やお母さんになって、自分の子を連れて会館にやってくることです。私にとっては、もう孫が遊びに来ているような気分ですね。」
永山さんは、冗談めかして「三股町の人口が増えているのはこふく劇場のおかげだ」と語る。しかしその言葉には、地域における文化活動の切実な役割が込められている。
「私が何よりも大切だと思っているのは、『時間をかける』ということです。10年という時間は、小学6年生の子が大学を卒業して社会に出るまでの時間です。その子が人生の岐路に立ったとき、『10年前に自分がやっていた演劇ワークショップが、あの町でまだ続いている』と思い出す。それは、若者が町に帰ってくるときの選択に影響があるはずなんです。」

みまた座22期生公演「サクラ時々、宇宙人」(2026年3月)
■助ける・助けられるが逆転する「みやざき◎まあるい劇場」
永山さんの演劇観に大きな影響を与えたのは2006年に始まった「みやざき◎まあるい劇場」だ。これは、障害のある方々と共に舞台を作る試みである。この取り組みは、宮崎にある作業所「アートステーションどんこや」でのワークショップの積み重ねから生まれた。
「(さまざな特性や障害のあるメンバーがいて)最初は、どう接していいか分からず困りました。なので、ひとまずワークショップをいろいろやってみることにしたんです。」
そこで行ったのが、落ち込んでいる友人を言葉(発話)を使わずに相手を慰めるというワークだ。
「ワークショップに参加した平野さんとうちの俳優のやりとりが印象に残っています。平野さんは、筋ジストロフィーの症状もあり電動車椅子を利用していたので、スーっと落ち込んでいる相手のそばにきて、何かするかなと思ったら、離れて、もう一回来て、離れて、それを何度か繰り返す。最後の最後にズンズンってきて、自分の手をゆっくり動かして、相手の手にポンって置いたんですよ。あんまり手を動かしたりはできないんですけど。
その光景を見た瞬間、『ああ、もうこれでいいや』と思いました。ただ人がそこにいて、相手の手に触れる。これに何かを足す必要はない、ただこの人たちが生きていることを描こうと思ったんです。」
この経験を踏まえ、永山さんは作品づくりにおいて自分にルールを課した。「障害をドラマの外に置くこと」。障害をテーマにすると、どうしても「障害があるのに頑張っている」という物語に回収されてしまうからだ。
「障害のある人が演じようが、ない人が演じようが変わらない台本を作って、とにかく人が生きていることを淡々と描く、普通の会話を作ろうと思っていました。」
この活動のなかで、永山さんは「助ける・助けられる」という関係が逆転する場面に気づいていく。どんこやのメンバーで、脳性麻痺による症状によって、一人で食べることが難しい和田さんは、一人でマクドナルドへ行き、隣の席の知らない客に「食べさせてください」と頼んだ時のこと。
「頼まれた人はいきなりなこともあり驚きますが、食べさせてあげるとき、どこか嬉しそうなんです。それは自分が求められ、役割があると感じられるからです。『助けて』という言葉は、『あなたが必要だ』と伝えるメッセージにもなります。」
舞台上でも、ある種の「逆転」は起きる。訓練を積んだ俳優たちがどんなに演じても、和田さんたちが舞台に立った瞬間の圧倒的な存在感には敵わなかったのである。
「助ける者が助けられ、助けられる者が助けている。この関係性の入れ替わりこそが、演劇の本質ではないかと思うようになりました。作品づくりにおいても、一方的に見せるものではなく、『客席に誰が座り、誰と出会うか』からスタートする視点・発想が育まれていきました。」

みやざき◎まあるい劇場「奏でる」(2013年9月)
■町が舞台、町民が出演者にもなる演劇祭「まちドラ!」
三股町で2012年から始まった演劇祭「まちドラ!」は、今や町の風物詩だ。「まちドラ!」は、体験型戯曲講座「カクドラ!」、リーディング公演「ヨムドラ!」、演劇公演「ミルドラ!」の3つのコンテンツから構成され、町を舞台に展開している。
「まちドラ!」の原型は、戯曲講座から生まれた作品をホールで朗読する「ヨムドラ!」。当初はプロの俳優だけで上演していた。
転機となったのは2011年、永山さんが劇団として鳥取県の「鳥の劇場」が主催する演劇祭に参加したことだ。そこでは古い議場や廃校が舞台となり、観客が街歩きを楽しみながら芝居をハシゴするものだった。
「これ、面白いなと思ったんです。そこで、今までホールでやっていた朗読劇「ヨムドラ!」を町のなかへ連れ出すことにしました。町内の体育館や公民館、無人駅などを会場にして、最後はホールでお芝居を一本見る。町民たちも出演できるし、鳥の劇場の真似もできる(笑)。そうやって始まったのが『まちドラ!』なんです。
面白いのは、さっきまで舞台で朗読していた町民が、出番が終わればすぐにお客さんになって隣で笑っていることです。プロの俳優も同様です。客席と舞台の役割が入れ替わり、交換されていく。この流動的な関係こそが、『まちドラ!』の大きな魅力だと思っています。」

まちドラ!2023/ツアーコンダクターと歩く観客
■外へ出て、内に招く
地域で活動を続ける際、陥りがちなのが「身内だけの閉じた活動」になってしまうことだ。永山さんは、自らが外の世界に出かけることで、風通しのよさを生んでいる。劇団こふく劇場は、一つの作品を5年ほどかけて全国、時には韓国までツアーし、再演を繰り返しているのだ。
「私たちは作品を持って外へ行きます。そこで出会った劇団に『今度は三股に来てよ』と声をかけるんです。三股には大きな予算はありませんが、会場を提供し、芝居を心待ちにしている観客がいる。私たちが『行って』、彼らに『来てもらう』。このサイクルを回すことが、地域の中に常に新しい風を呼び込み、巡り合う循環を育んでいます。」
外へ出て、内に招く。その往復運動が、地域の活動を閉じたものにしないための工夫でもある。

劇団こふく劇場「ロマンス」韓国公演(2024年10月)
■あるものからはじめる
地域で新しいプロジェクトを立ち上げようとする際、つい綿密な「計画」や「目標」を立がちだ。しかし永山さんは、自らのスタイルを「基本、行き当たりばったり」だと語る。
「目標を立てしまうと、カーナビと同じで、どうしても最短距離の『近道』を探してしまいます。効率を優先すると、その道中にある面白いものや余計な出会いを切り捨ててしまうことになるのです。私たちは戯曲講座で面白い台本ができちゃったから上演しようとか、人が集まったから書いてもらおうとか、その場の流れを大切にしてきました。」
この「行き当たりばったり」を支えているのが、永山さんの根底にある「あるものを数える」という思想がある。
「今自分が持っていないものを手に入れるという『ゲットする物語』が社会には根強くある気がします。それは資本主義やスポーツの世界では正解かもしれませんが、地域には馴染みません。『ないものねだり』をするのではなく、今ここにあるものをつなげ、育てていく。つまり『あるもの』を数えていくことからスタートするのが大事だと思ってきました。」
三股町の人口は約2万5千人、メンバーが6人しかいない「劇団こふく劇場」。その限られた環境こそが、一人ひとりの存在を「必然」なものへと変えていく。
「『お前の代わりはいくらでもいる』なんて口が裂けても言えません。人がいないからこそ、今ここにいる人が何を持っているのか、どんな物語を持っているのかを必死で見つけるしかない。物語をゼロから作るのではなく、目の前の人の内にある物語を『見つける』。それが私たちのスタイルです。」
■50%のコツコツと、50%のたまたま
永山さんの活動は「他者」との予期せぬ出会いが常にあった。劇場で出会った観客、どんこや、みまた座のこどもたち、その保護者たち、ツアーするなかで出会った人たち。
「私の活動は、50%の『コツコツ(手間をかけること、時間をかけること)』と、50%の『たまたま(偶然の出会い)』でできていると思っています。コツコツと土壌を耕し続け、偶然に身を委ねることで、物語が生まれていく。この循環が、お芝居だけではなく、人生の捉え方にも関わってくると思っています。」
レクチャーの最後、永山さんは参加者とともに一つの言葉を唱えた。「私は今ここに生きている」という一文だ。
「これは、すべての人にとって嘘のない真実です。舞台に立つ俳優も、客席に座る観客も、等しく『今、ここ』に存在し、呼吸をしている。演劇とは、目に見える人だけでなく、かつてここにいた人や、これから生まれてくる人とも想像力でつながりながら、この『生きている』という事実をみんなで実感する時間なのだと思います。」
日々の暮らしにはすでにたくさんの出来事や出会いが存在する。それらを空気のように、あって当然のものとして扱いすぎていないだろうか。空気がなくなってしまったら呼吸ができなくなる。そう捉えてみると、「あるものを数える」「偶然の出会い」は、生活と共にある視点と言えるだろう。ないものねだりをするのではなく、すでに目の前にあるものをまなざす。そこからオルタナティブな演劇は生まれてくるのかもしれない。
執筆:垣花つや子