『ワークショップ論 ― 演劇ワークショップの力』
Vol.5「PETAサマーワークショップ―フィリピンで1週間缶詰の演劇ワークショップ」
2010年1月23日(土) 13時〜15時
菊地 敬嗣
(PETAサマーワークショップ実行委員会)
《所 感》
PETAのサマーワークショップは、デッサ・ケサダの「参加者は解放されて帰っていくが、それだけに終わってしまい、自らにも何も残らなかった」という体験がきっかけで開始された。これは1週間参加者を缶詰にして、地元の人々とも交流し、さまざまな体験を行っていくというものである。PETAが問題にし続け、現在再び大きな問題となっているのが、演劇(人)の役割、社会運動の役割である。以前よりフィリピンでも社会的ワークショップが少なくなっているという状況もあり、どういう人々が演劇を必要としているのかということが、今再び問い直されているのである。こうした考えから、PETAは演劇センターでの劇場作品も作り続けているのである。
記録者は、ワークショップに参加した日本の演劇従事者が、PETAのように公演のクオリティと社会的関心が両立しているところに衝撃を受けたというところに特に興味を持った。現在日本でも演劇の社会的役割が問題となっているが、PETAの実践は、演劇の社会的役割を問題化する上でとても重要であると考えさせられた。
記録:梅原宏司(早稲田大学演劇博物館GCOE特別研究員)
《PETAとは何か?》
=フィリピン・エデュケーショナル・シアター・アソシエーション(PETA)
(フィリピン教育演劇協会)
1.PETAサマーワークショップ
日本での「PETAサマーワークショップ」は、1997年に開始した。日本でよばれているこの名称は通称で、PETAはAPTW(Asian People’s Theater Workshop)と呼ばれている。PETAがフィリピン国内向けにSummer Workshopを毎年実施していて、それと区別するためでもあるが、これはアジア全体のワークショップであるという意思をも込めた命名であった。
PETAの劇場作品の一つに、ミュージカル『1896』がある。これは、1896年のフィリピン独立革命をテーマにしたミュージカルである。フィリピン人に歴史を知ってもらいたい、若者にアピールするため若者を主人公にしたものである。
(カセットテープで『1896』の歌を紹介)
まず、このワークショップが開始された1997年頃、日本の国際協力NGOの間でかなり知名度が高かったデッサ・ケサダのことから始めたい。デッサは1977年、高校生の時PETAの若者向け活動であるMTTL(Metro Manila Teen Theater League)に参加した(他にも高校生・学生時代からPETAに参加した中心メンバーが数多くいる)。1986年に初来日し、日本では主にネグロス島の飢餓(砂糖飢饉)、内戦、自立支援のキャンペーンに参加した。
95・96年には日本に長期滞在、コンサート、在日フィリピン人の演劇活動支援、NGO・市民団体向けに演劇ワークショップを数多く行っている。
(当時の雰囲気を少しでも感じてもらうために、デッサの歌をテープで流す)
このデッサの歌のタイトルは、PAGLIKAS(村を追われる人々)である。これは、1986年のマルコス政権崩壊後も、政情・社会不安が絶えなかった事情が背景(ネグロス島では3万人が村を追われる)にある出来事をテーマにしている。
●準備 1995年―1996年
デッサは初来日以来の10年を振り返り、以下のように回想していた。
「(ワークショップ参加者は)『私はワークショップの間解放された、癒された、ありがとう!』と言って私の前を通り過ぎて行った。誰も自分がファシリテーターになろうとしなかった。私は与えたのに誰も私に与えようとはしなかった」
このように、デッサが思うような結果が出せなかった理由の一つとして、そもそも1日限りのワークショップでファシリテーションができるようになることはないという事実に基づいている。そこで、マニラで、PETA主催で2週間のワークショップをやろう!ということになった。
開始にあたり、デッサと共に主導的役割を果たしたのが、アーニ・クローマ(チト・アーニー=アーニー伯父さん)とボン・ビリオネス(民衆演劇学校の責任者、ワークショップ部門統括者)、彼の妻であるゲイルであった。アーニーはファシリテーター、ボンたちは宿泊はじめワークショップ全体のロジスティクスを担った。この体制で、APTWは10年以上持続することになる。
準備段階での菊地やボン、デッサ、アーニーの考えを、PETAの歴史では以下のように書いている。
「批判的思考ができ、創造的で、社会に関心を持つ市民を生みだそうというのがキクチの意向だった。当初ボンはしっかりした組織的裏付がないので実施できるか懐疑的だったが、デッサとアーニーがファシリテーターを務めることで話は進んでいった」
●始まり 1997年
こうして準備が進み、1997年8月、APTWが開始された。この目的は、「ファシリテーター育成のための、アジアの文化活動家・社会活動家・教師育成」というものであった。より詳しくすると以下のようになる。
フィリピンの現実について、包括的なエクスポージャーをめざす探訪とする
芸術を分析や教育の道具として使い、その能力を強化するのを助ける場所・空間を作る
参加者の探訪によって得た理解・考え方を即興での作品作りの材料にする
経験によって生み出された考え方、感じ方を反映した作品創作
面白さが満ちたプロセスにより、一緒になって互いが楽しめるようにする
(単に深刻に考えるのではない)
●内容
第1回目は、ラボ21(アマチュア劇団)、ネグロスキャンペーン(日本参加者主催)、アジア太平洋資料センターなどの関係者、関西でのワークショップ参加者(FTCを始める松田裕樹さんなど)であった。国際協力・開発支援関係者が4回目(2000年)まで多数参加していく。
内容は以下のようなものであった。
8月16日(第1日)…マニラ到着・宿泊場所へ案内、参加登録とオリエンテーション
17日…開会式、PETAの紹介・アプローチ紹介 参加者がお互いに知り合う(肌を触れあい
馴染みあう)、即興の動き、マニラ市内見学の説明
18日…文化とコミュニティ訪問(スモーキーマウンテンなど、都市のスラムとの交流)
日本参加者からも折り紙を教えたり、相互にインプットした。
4回目からマニラ首都圏の外で、PETAが力を注いでいるインファンタ地区に行くようになった。そこではストリートチルドレンを演ずる中産階級出身の高校生たちが積極的、日本人参加者と交流を図った。
19日…物語を作ってみる(音とリズム、絵とイメージ、言葉と詩、コンフリクトと人物、
フィリピンの芸術手法を学ぶ)
20日…演劇とアドヴォカシー(芸術手法の利用、紛争/人物と即興で物語を作る)
21日…演劇制作・作品上演、教育手法としての演劇(PETAの実践の場所に行くなど)
22日…行動のための創造的教育モジュール
23日…休息とレクリエーション、閉会式
PETAのワークショップでは、儀式を上手に使う。これは、自分たちの思念を集中させる目的であり、修了証も一人一人に手渡される。
24日…帰国
2.社会的演劇 (Socially Oriented)
PETAの演劇活動の方針は、オリエンテーション・アーティストリー・オーガニゼーショナル(OAO)と呼ばれている。これはそれぞれ方向性、芸術性、組織性のことであり、それぞれは以下のような内容を持つ。
方向性…イデオロギー、哲学的土台 創造性の源 社会意識の向上
芸術性…参加者・コミュニティの芸術的スキルと才能の向上 大衆的・伝統的文化の
要素の肯定的追求(フィリピンに住む人々がみな英語・タガログ語を話すわけでは
なく、先住民もいる)
組織性…真のダイナミズム、集団的生活 批判的なフィードバックと
分析・評価・自己点検。外側に影響を与え、それを拡大すること。
また人間理解の仕方として金脈理論(Gold Mine Theory)がある。「人はすべて金脈を持っている!教育とは、すべての参加者から『金』を取りだすことである」というものであった。
PETAの重要なキータームに、Informanceというものがある。これはinformationとperformanceを組み合わせたものである。芝居を見せることを通して、社会問題を提起する。その一つに、ドメスティック・バイオレンスを題材にした作品で“三人の女”という重要な作品があり,日本でも在日フィリピン人がデッサの演出で上演した。
アーニーは、ものごとに「中立」は存在するのかということを口癖にしている。ファシリテーターも一つの立場を持ってワークショップを進行するのが、PETAの重要な考え方である。また、PETAが問題にし続け、現在再び大きな問題となっているのが、演劇(人)の役割、社会運動の役割である。社会運動のパワーが低下し、以前よりフィリピンでも社会的ワークショップが少なくなっているという状況もあり、どういう人々が演劇を必要としているのかということが、今再び問い直されているのである。
●演劇センター
PETAは2005年に、それまで設立以来使ってきた野外劇場から、年間通して使える劇場を造り拠点を移した。これが「演劇センター」である。演劇センターは、国際ファンドに頼ってきた活動から自立して行うことも目的としている。
ここで上演された代表的な作品に、“Noli and Fili”がある。
原作は独立革命の指導者ホセ・リサールの小説『社会的ガン』と『強欲の君臨』で、二つの小説を統合し、現代に舞台を移した作品である。テーマは環境破壊・汚職などで、内容は、清廉な政治家が悪司祭や軍人に陥れられてゲリラになり、復讐の鬼となって捕虜を虐殺するなど残虐行為を行うというものであった。
この作品の背景には、台風でPETAの重要な活動場所であったインファンタ地区が大打撃(915名死亡)を受けるが、森の違法伐採が原因で大洪水が起こったことなどが挙げられる。観客は歴史と現在の社会問題について提起され、考えるプロセスに入り込むのである。
質疑応答
Q1: PETAの組織は、ワークショップ部門と公演部門には分かれているのか。また、エデュケー
ションという言葉の意味(日本の「教育」との違い)や、キリスト教の影響について聞きたい。
100人以上のメンバー(常時活動しているのは50名程度)が2つの部門、ワークショップ
部門と公演部門、に分かれている。また少数の専従者と他の仕事を持つ人に分かれている。
ワークショップ部門と公演部門の両方に参加しているメンバーも多い。
PETAでの「エデュケーション」という意味は、外から注ぎ込むのではなく「金」を掘り
出すということである。キリスト教の影響だが、PETAの中にはカトリック、プロテスタン
ト、ムスリムがいる。ただ活動地域ではカトリックが強いなど宗教的色彩が強いところも
ある(PETAの活動にも教会が大きな支援を与えてきた)。
Q2: ドラトラという手法は何か?
(花崎)ビタウ(BITAW=Basic Integrated Theatre Arts Workshop)の中の紹介では、「詩劇」
であり、参加者があるテーマにそって詩を書き(自分が思う事柄(名詞など)について
さまざまな機能を取りだしたりしていく)、みなが個人の詩を解体して他人の詩と
混合して組み立て、演劇を組み立てる方法である。
(片倉)一行の詩からシーンを作ろうという手法で、連歌的なものだと思う。
(里見)自分の手法では、詩を作ってしまってバラして混合させる方法だった。詩は元来
完結した世界で、それをばらばらに切ることに抵抗がある。しかし、それが組み
合わされると新しい世界が出来てくることの面白さがある。
APTWでは、だいたい3日目になって行う手法である。
Q3: アーニーの「中立は存在するのか?」の意味と、社会的ワークショップが少なくなってきて
いることはどういうことか?
前者は「公正中立」という考え方の虚構であるという批判と、方向を明確にしようという
ことであり、またマルコス大統領の時代とその後の地方紛争などの中で、PETAメンバーが
物事を考えようという姿勢になっていたことが背景にある。後者については、マルコス
崩壊時ほど社会運動が盛り上がっていないので、問題に正面から向き合い、解決をめざす
ワークショップを行う機会も少なくなっているという事情がある。
Q4: 紛争時に共有できた問題が今日、日本のようにinternalなことになりかわってきて
いるのでは?
余裕がある人々の間ではinternal(個人主義的、内向き)になっているかもしれない。
例えば、地方でも携帯が普及している。これはコミュニケーションのあり方の変化をも
たらしている。ただ日本と同じ傾向なのかはわからないが、従来経済的に安定していた人々
が、不安定になっているなど似た問題もある。
Q5: 一週間ぶっ続けの参加というのは日本の中ではありえない状況だが、参加者はどんな
コメントを残したか?
学校教師などは「教育」について考え直させられたと言っている。学生などはよい経験に
なった(別の世界を体験する)という感想を持っている。松田さんのように職業を変えて
しまったケースもある。演劇従事者は、PETAのように公演のクオリティと社会的関心が
両立しているところにすごさを感じたという衝撃を受けていた。
Q6: PETAのやり方というのは個人が発案したものなのか?
オリジナルがないわけではなく、ファシリテーターによって違うけれども、ボアールなど
さまざまなところからの、経験による寄せ集めである。
Q7: 写真を使ったことはあるか?
(菊池・片倉)写真を使った記憶はあまりない。
タブローをやるのがそれに相当するかもしれない。
Q8: 6日目の「教育手法」というのはどのようなものか?また演劇(人)の役割とは何か?
「教育」というのは、学校でPETAメンバーとともにやったワークショップファシリ
テーションの経験も含んでいる。学校での教育環境も恵まれていないところもあり、
そこでどのように演劇ワークショップを適用するのか、ということもある。
Q9: 教育者としての学校教員がやるとどうなるかということとは違うのか?
それとは違うと思う。演劇ワークショップとそのファシリテータには独自の役割が与え
られている。学校教員とは異なる、教科を教えるのではない役割が与えられている。
それもOAOに基づいている。