『ワークショップ論 ― 演劇ワークショップの力』
Vol.4-2「事例紹介:『人間彫刻』で織り成す井戸端会議!?
〜宝塚フォーラムシアタークラブの6年〜」
2009年12月20日(日) 17時〜18時
松田 裕樹
(楽しく変化を起こす劇的ワークショップ」ファシリテーター)
《所 感》
松田は、PETAやカナダのヘッドラインズ・シアターのワークショップに参加して、フォーラムシアターなどの手法を身につけた。しかし、日本では何日も続けてワークショップを行うことが極めて難しいこともあり、宝塚市で立ち上げたフォーラムシアタークラブ(FTC)では、ボアールの手法の中でも比較的短時間でおこないやすいイメージシアター(人間彫刻)を取り入れている。これは複数の参加者がポーズを取って、個々の感情や、お互いの関係性などを可視化・対象化する手法である。このイメージシアターによって、日常生活で起こっているさまざまな抑圧(意に反して、望まない状況に置かれること)を「可視化」し、抑圧をめぐるさまざまな立場の人々がどう感じているかを「体感化」しながら理解することができるのである。ただし、ここでの「抑圧」は、抑圧者は単に倒すべき存在ではなく、同じシステムの中にいるし、立場が入れ替わったら同じようなことを行うかもしれないということを前提として考えられている。
日本社会の抑圧というものはラテンアメリカとは違う形で現れ、心理的にも違った影響を及ぼしているかもしれないが、頭で考えるだけでは解決が難しい問題を、可視化・体感化することは極めて重要であると考えさせられた。
記録:梅原宏司(早稲田大学演劇博物館GCOE特別研究員)
1.PETAとボアールとの出会い
私は演劇のバックグラウンドはほとんどないし、ワークショップに出会うまで演劇に出会うこともなかった。
1995年、大阪市の社会教育主事(市民の学習活動を支援する専門職)になった際、職場の研究会でワークショップについて学ぶ。当初は仕事柄、人権教育のワークショップから入ったが、個人的に興味を持ち、環境、まちづくり、音楽、演劇、ダンスなどさまざまなワークショップに参加するようになった。
1997年にPETAと出会う。これは、「演劇を通して考える人権教育」(アムネスティ主催)というワークショップをPETAのファシリテーターが行っていたものだった。だが、単発のワークショップでは十分に深まらなかった学びをより深めたいと思っていたところ、フィリピンでPETAの手法を学ぶ1週間のワークショップに日本から参加するツアーが始まるのを知り、97・98年と参加し、ワークショップ漬けになった。
そして『被抑圧者の演劇』、中でもフォーラムシアター(討論劇)に興味を持って、カナダのヘッドラインズ・シアター(中心となるジョーカーひとりがいるが、劇団員はいないグループ。さまざまなテーマでフォーラムシアターを行うために、テーマに関わるコミュニティの人たちに参加・出演してもらっている。法案起草演劇もやっている)のワークショップに参加し、(99年にレベル1、01年にレベル2)その経験を踏まえて、ファシリテーターとなった。
ヘッドラインズでは、1週間のワークショップを提供し、最後にフォーラムシアターができるように持っていく(当事者が演じて、それを当事者やテーマに関心がある人が観る・参加する)。メディアを使ったフォーラムシアター(TV視聴者参加型、ネット生中継参加型)も行っている。
2.宝塚での活動
市民グループから依頼があり宝塚でワークショップ活動を始めたが、カナダのように1週間連続のものはできず、一日ずつのものしかできない。それでも、月に1回のワークショップを半年間継続して、フォーラムシアターの開催に成功することができた。
その後もフォーラムシアタークラブ(FTC)として活動を継続することになった。しかし、必ずしも強い問題意識が共有されているグループではないので「参加者が共有している問題でフォーラムシアターを作る活動を続けていく」という当初松田が描いたアイデアでは、うまく活動が継続できなかった。そこで、自分なりに内容を考え、イメージシアター(人間彫刻)を取り入れることになる。(ちなみに英語の「Image」には、「頭で思い浮かべるもの」という日本語の「イメージ」という意味だけでなく彫刻、映像という意味もある。)抑圧というのは、問題が起こっている状況である。
(ここで人間彫刻の発展形、「人間彫刻アニメーション」を、講座参加者の協力を得て実演:演じている最中に言葉は使わない)
松田が二人の出演者にポーズを取ってもらい人間彫刻を作る(※)→ポーズをとっている出演者に、どんな気持ちがするか、次にどう動きたいかイメージしてもらう(口にしない)→松田が手を叩くたびに、自分の気持ちに従って二人の出演者が動いたあと、出演者は最終的なポーズから来る気持ちを話す
動き終わったら、まずそれを周りで見ている人たちから出演者がどのように見え、どう感じたかを述べてもらう→次に出演者がどう感じたかを述べる→最後に松田が最初に作った二人のポーズの意図を話す→意図通りに伝わっても、伝わらずにズレても、それぞれ発見がある
(※ここでは、実例を示す必要があったためにファシリテーターである松田が人間彫刻を作ったが、通常は参加者が自ら作る。ファシリテーターが指示して作ることは通常はない)
南米でのボアールは、貧困や抑圧的な政治状況に取り組もうとしていたが、ヨーロッパ亡命後は、ヨーロッパ人が直面している孤立感・内面の葛藤などの精神状況から、個人的な問題にも取り組み、セラピー的なワークショップも行うように移行していった。これは、ヨーロッパでは抑圧が個人の内面でも起こり、自分で自分を抑圧するようになっている状況だということに気づいたためである。
日本の状況は、南米よりもヨーロッパに近いと思うので、個人的な問題に取り組む手法も有効だと思う。今後は、個人的な問題に取り組むワークショップだけでなく、集団的に共有されている問題を扱うフォーラムシアターにも取り組んでいきたいと考えている。
3.FTCの活動
FTCは、すでに6年になるので、参加者の経年観察が可能である。
日本では必ずしも「抑圧」という言葉がピンとこない状況が多いが、「自分の意に反して、望ましくない状況に置かれてしまう」状況だと言い換えれば、多かれ少なかれ誰もが経験していることだと思う。「抑圧者は倒すべき存在ではない、同じシステムの中にいるし、立場が入れ替わったら同じようなことを行うかもしれない」ということを、カナダのヘッドラインズ・シアターは言っている。自分もそう思っている。(ヘッドラインズ・シアターは、「被抑圧者の演劇」という呼び方を使わずに、自分たちの活動を「シアター・フォー・リヴィング」(生きるための/暮らしのための演劇)と呼んでいる)
今後松田は「フォーラムシアター劇団」の立ち上げも視野に入れているので、FTCの参加者は個々の力量があがっていることもあり、協力をしてもらいたいと考えている。
質疑応答
Q1: ワークショップにおける「動くスキル」とは何か?
FTCのメンバーに関して言えば、ウォーミングアップにあまり時間を掛けなくても
パッと反応して動くことができるようになったことだと思います。
初心者は対応するのにウォーミングアップに時間をかける必要があります。
Q2: 「劇団」を作りたいというポイントはどのようなものか?またどんな劇団だと
良いと思うか?
フォーラムシアターを上演する劇団を作りたいと思っています。さまざまなテーマを
持って活動しているNPOや市民グループなどとコラボレーションしていきたいのですが、
具体的なことはこれから考えていきます。
Q3: 主婦層中心ということだったが、呼びかけるときはどのような広告をしたのか?
当初は主婦を中心とした市民グループの招きで連続ワークショップを開催したので、
自然と主婦層が集まったと思います。今は新しい人は口コミで来ている。
ホームページやブログを見てくる人もいるが、主婦層にはいない。
Q4: どこでやっていますか?
男女共同参画センター(公共施設)の貸室を借りています。
Q5: 話題とそのあとの変化は?今の日本の潮流はワークショップといえば
「コミュニケーション」だが、これがブラジルだったら?
FTCの場合、に関心のあるテーマがあって集まったグループではないので、
「コミュニケーション」に近い話になりがちだが、個人的には環境やまちづくりなど
さまざまなよりテーマで集まるグループでも行いたいと考えています。
ブラジルでは、さまざまな地域のコミュニティのグループや、さまざまな問題の
当事者などのグループと連携して活動が行なわれているので、それぞれのグループ
固有の課題がテーマになります。日本でもそのようなグループと連携できるようになれば、
さまざまなテーマに取り組むことができるようになるでしょう。
Q6: 抱えている問題の相違か?
(高尾)ボアールの展開との関連も気になる。ブラジルは自殺が少ない。
(その代り他殺は圧倒的に多い)
(辻)また、個人的な問題が討論劇になることはない。
フォーラム・シアターはヨーロッパでも行われている一方で、ヨーロッパで生まれた
個人の内面に取り組む手法は、ブラジルでも有効で、後に逆輸入されるようになったと
聞いています。個人的な問題と社会的な問題は、からまりあって、どんな社会にもあり、
その両方に取り組む手法が求められているのだと思います。
社会や文化の違いのせいで、フォーラムシアターは日本では広まりにくいかもしれま
せんが、広まっていく可能性は十分あると思っています。
Q7: 宝塚に昼間に集まれる人ということはやはり自分のことにフォーカスできるのでは
ないか?フォーラムシアターが求めているのはもっと別な人なのではないか?
「時間に余裕がある人が来ているから自分にフォーカスできるのでは?」という主旨の
質問だと受け取りましたが、忙しい合間を縫ってきてくださる方もいるので、必ずしも
そうとはいえないと思います。また、余裕がある人が「自分のことにフォーカスできる」
ということではなく、基本的にボアールのワークは「自分のことにフォーカスする」ワーク
です。自分とは関わりのない社会問題にフォーカスするわけではないです。
社会問題の当事者でも、「社会問題」にフォーカスするわけではなくて、自分のことに
フォーカスするんです。問題を共有する参加者が集まって、一人一人が自分のことに
フォーカスする結果、どんな問題が共有されているのかが浮上してきて、それに取り組む
ことになるんです。実際に、FTC創設時の連続ワークショップでは、特定の問題の当事者が
集まったわけではないにも関わらず、家族のコミュニケーションの問題など、共有されて
いる問題が浮上してきて、フォーラムシアターが成立しました。顕在化している社会問題の
当事者とフォーラムシアターに取り組むことにも関心がありますが、同時に、必ずしも社会
問題の当時者という自覚がない、「普通の人たち」から共有するテーマを浮上させていく
ことも重要だと思います。
Q8: ボアールは他分野の人々と連携できたが日本では連携できていない。
日本でコミュニケーションを考えるときに糸口を考えることが面白いのではないか?
(里見)ブラジルで酔っ払いの問題はとても大きい(失業など幅広いテーマとつながる)。
ボアールにとってテーマを探ること自体がとても重要(人々が考えていることを
探り出す)なので、テーマ探しはサークル運動全体の目的になってくる。
いろいろなところで活動を続けていく中で、ワークショップを通して、人々が考えていく
ことを探りだして、テーマを見つけていきたいと思っています。そうする中でさまざまな
分野の人々と連携ができていけばいいな、と。
Q9: 個人的な問題と社会的な問題の接点はどのようなものと思うか?
純粋に個人に固有な問題はほとんどなくて、たいていの問題は、他の人とも共有されている
問題だと思います。それが共有されていることに当事者が気がついて、問題が顕在化する
ことで、社会的な問題として認識されていくのだと思います。
カナダでは、明確なテーマを設定したフォーラムシアターが開催されており、参加者が
すべて当事者やそのテーマに惹かれて集まる人なので関心が高い。
Q10: 日本では日数をかけてやるのは難しいので、もともとの社会的知識が高い人を対象にする
のか、あるいは短期的にやることはできないのか?
無理に短期的にやろうとすると内容的に薄くなると思うので、今それは考えられないの
ではないでしょうか?また、社会的知識が高い人というのは、ある種の特権がある人かと
思いますが、もともとごく普通の人や、むしろ社会的弱者を対象としてきた動きなので、
知識が高い人に対象を絞るというのも違うと思います。むしろ、この手法が持つ良さを
広めることで、長期的なワークショップの開催が可能になるような土壌を作っていきたい
と思います。