講座の内容記録 2009

舞台芸術論
『ワークショップ論 ― 演劇ワークショップの力』
Vol.4-1「事例紹介:ブラジル市民生活におけるボアール演劇」
 
2009年12月20日(日) 15時45分〜16時45分
辻 朋子
(ボアール研究、演劇ワークショップコーディネーター)

《所 感》

ボアールは劇場演出で数々のヒットを飛ばしたが、それは普通のスターシステムによる演劇ではなく、ブラジルの歴史における民衆の役割を重視した作品であった。ボアールらは、検閲が厳しかった60年代、歴史的寓話を使って表現したいことを伝えようと試みた。さらに、こうした素材を複雑な様式で提示したために、趣旨が観客に伝わらないという現象が起こってしまった。後述するように、「ジョーカーのシステム」が混乱を引き起こすこと、そして混乱は必ず止揚に向うことが確信されていた。そしてボアールらが考え出したのが、舞台から観客に直接語りかける「ジョーカー」の登場だった。「ジョーカー」は、「ジョーカーのシステム」では伝わらないメッセージを伝える役である。しかし、ボアールが亡命後ブラジルに帰国してさまざまな社会的プログラムを行うようになると、「ジョーカー」は、市民生活におけるファシリテーターの役割を持つことになった。「ジョーカー」たちは、ブラジルの市民生活において徐々に力を増し、市民生活と演劇を関連付ける上で不可欠な存在となっているのである。

記録者は、これを日本社会で実践した場合も、演劇の社会的意義を重要なものとし、日本社会のさまざまな抑圧を可視化・対象化する上で重要なものではないかと考えた。
記録:梅原宏司(早稲田大学演劇博物館GCOE特別研究員)
1.劇場演出家ボアール
里見さんが先ほど、ボアールの「劇場演出家」の側面を紹介してくださったが、ボアールの劇場活動は、いろいろな芸術家とコラボレートして前衛・社会的要素、さまざまな要素を社会的コンテクストの中で取り入れていくものだった。

ボアールの劇場作品では、音楽が大きな役割を持っている。ボアールの劇団「アリーナ劇団」は、社会批判を内容とする音楽劇を盛んに上演したが、この音楽劇は社会批判の手段として音楽劇をつくったブレヒト作品と共通するところが多いにあった。そのため「アリーナ劇団」とブレヒトは重要な関係を持っているのである。

例えば、『アリーナ劇団<ズンビ>を物語る』という作品がある。これは大ヒット作で、外国公演も行われている。しかし元来は、軍事政権の検閲のため主題を歴史の寓話としたのであって、相手は軍事政権そのものであった。直接の題材は、逃亡奴隷の共和国の話である。
(音楽『ウッパ・ネギーニョ』を聴く)
この曲は演歌的だが、演歌的なものが好きなブラジルでは人気があり、エリス・レジーナ(ブラジルの美空ひばり)など、現代にいたるまで、ブラジルではいろいろなアーティストがカバーしている。

『ウッパ・ネギーニョ』は、主人公が黒人少年に出会う場面の歌で、黒人を賛美している。「これから一緒に新しい国を作ろう」という歌である。 しかし批評では「これを観て感動した観客が街頭のデモに参加したかというとそうではないだろう」という批判もあった。ボアールたちも意識した(暗号化しすぎた)ところがあったようである。
2.ジョーカーのシステム
ボアールらの「ジョーカーのシステム」は、以下のような特徴からなっていた。
  • 役/俳優の非固定
  • 折衷主義…いろいろな様式を使う(特定の様式を使うと何を言いたいかバレる)
  • 集団的語り
  • 音楽の使用…感情に乗せてメッセージを伝える
  • だが、俳優/役の非固定はかえって観客を混乱させた。場面ごとに様式を変えて、貪欲な支配者が現れる「メロドラマ的」場面、ひたむきな主人公が現れる「写実的」場面などの舞台が次々と繰り広げられることは、観客を感情移入させない効果はあっても、やはり見ているものを混乱させるものとなってしまった。

    そこで、「ジョーカー」という役そのものを劇場の中に登場させるのである。システムにおける「ジョーカー」は、俳優がさまざまな役に変化することができる、という意味での「ジョーカー」だった。「ジョーカー」は、観客にシステムその他では伝わらないメッセージを伝える役である。

    『アリーナ劇団<ティラデンテス>を語る』では、「ジョーカー」が合唱の指揮をしたり、状況を説明したり、場面を批判したりする。観客に一歩身近な存在を配置したのである。例えば、娼婦(お針子)とティラデンテスの対話の後に、娼婦がお針子を兼業する理由(職あっても生活できない)を説明する。また、運河建設の場面は当時無計画的に進められ、多くの犠牲者が出ていたブラジリア建設の重ね合わせになっている。

    舞台を批判する存在したり、複雑に絡まった表現内容を交通整理したりする「ジョーカー」が今後のボアールの活動における「ジョーカー」の活躍につながっていくことは、言うまでもない。

    ボアールは1971年に亡命したあと、討論劇など社会教育活動を行うが、1986年に帰国して、リオ・デ・ジャネイロの副市長の要請でさまざまなプロジェクトを行う。これには、軍事政権でボアールの記録・文献が排除されたので演劇界には自分のいる場所がなかったという事情が大きい。例えば、大ヒットソング『ウッパ・ネギーニョ』がボアールのアリーナ劇団による作品<ズンビ>から来ていることもわからなくなっていたのである。

    リオでのプロジェクトは、「貧困政策」であった。これは貧困地区の子供に演劇を教え、食事やお風呂を用意し、生活向上の試みを行うコミュニティ活動である。

    この段階で、ボアールの「ジョーカー」が再登場するのである。それは演劇活動家・演出家・ソーシャルワーカーの役を兼ねるもので、コミュニティ活動におけるファシリテーターとして劇場外で出てくる。そしてフォーラムシアターの場では、スペクタクター(観つつ上演する者)と舞台との対話の進行役となる。フォーラムシアターにおける「ジョーカー」は、劇による討論の論点を明確化させるべく劇を説明で補い、観客(スペクタクター)に問題の解決策を求めるべく介入を促し、介入によって問題が改善されるのかどうかを客席に問いかける。「ジョーカー」は、演劇のコンベンションとして存在する舞台と客席の障壁を取り払い、相互の討論を活発化させるための役であり、調整役である。

    1992年、ボアールは被抑圧者の演劇センターがほしいという要請や、プロジェクトベースの貧困政策での対症療法に限界を感じ、労働者党(PT)の党員になってキャンペーンを行い、リオ市議になる。そしてリオには演劇センターのオフィスができ、ジョーカーは地域ベースの演劇グループを数多く組織している。
    3.Legislative Theatre
    Legislative Theatreとは、「法案起草演劇」のことだが、Legislativeを「法律制定」(定訳)とするか、「法案起草」とするか、議論がある。LegislativeTheatreとは、フォー ラムシアターでのスペクタクターとの劇中討論でひき出された解決策から法案を作成する演劇である。この試みにより、実際にいくつかの法案の立法化が実現された。

    ただ、この演劇において行われている行為はあくまでも法律について「考える行為」であり、議会のように法律を直接「成立させる行為」ではない。議会のように法律を直接「成立させる行為」は、あくまでも法律の専門家と議会が担うものであり、間接民主制である限り、この点には限界がある。

    法律化されたものの中には劇中高齢者医療(リオすべての病院に専門医を置き、ベッドを確保し付添い人のベッドも整備する)、犯罪目撃者の身の安全を保護する、性差別禁止(同性愛カップルに対する超過料金禁止)、公立学校の託児所(職員も親も利用できる、ただ拘束力は強くない)などがある。
    (写真を見る)
    これらの写真は、チジューカというチームのサンバ学校でのフォーラムシアター(ボアールについての歌を作り山車を作る)の写真である。
    (2002年法案起草演劇フェスティバルの写真を見る)
    エイズについての主題の作品(専業主婦と家父長制の風刺)・酒飲みの夫がお手伝いさんに暴力をふるう作品・若者のドラッグ(刑務所入り)と家族の新興宗教依存を描いた作品だ。これらの作品は見せ物としても非常に面白くできていて、客席はかなり盛り上がる。舞台の上の登場人物の行動に対し、大声で激励したり野次を飛ばしたり、爆笑したりして、劇場がかなり騒がしくなるのである。そのような作品上演では、観客も上演者も熱気を大いに発散するところとなり、ふだん冷静に介入する「ジョーカー」も焦って登場し、観客に静寂を呼びかけたりする。

    ジョーカーになっていく人は一流大学に入って専門教育を受けた人がさらに演劇について学んで、社会的演劇活動の力に賭けようと決意した人たちであるから、覚悟は半端でない。多少のことには動じず、堂々と「ゲーム」を進行していくのである。
    質疑応答
    Q1: ジョーカーの養成はどのようになされているか、また規模はどれくらいか?

    2002年で5人くらいであった。コミュニティーグループの中で演劇をやっていた人々 (メンバーやスタッフ)から出てくる。

    Q2: ジョーカーにとって必要な資質は何か?

    ボアールが見世物としてのクオリティにこだわっているので、それにふさわしいものが 作れるか、また被抑圧者の演劇にどれだけコミットできるかということである。

    Q3: インプロビゼーションで作品を作っていくので演出や作家的要素もあるはずだが、 ジョーカーがそういう組み立てをしてしまうのか?

    そうです。

    Q4: 「クラウン」とどこが重なり、どこが違うのか?

    「ジョーカー」は「joke」でもある。「ジョーカー」はもちろん、トランプのカードに 由来する。何にでも成り代わることが可能であるというという意味では最強だが、 「ジョーカー」を持っているがためにゲームをひっくり返され大負けすることもある。 ジョーカーも人を笑わせるような要素があるが、賭け的な行動をとるところが違うので はないかと思う。

    Q5: 道化の場合は、自分の中の道化性を見つけ出すというところがあるが…?

    そうした要素はある。「ジョーカー」も恐らく、自己について探求し、人間についての 洞察を深めているのではないかと思われる。

    Q6: ジョーカーはどのように生計を立てているのか?

    今は専従となっているので兼業していることはないと思う。またPTが与党なので、 いろいろなプロジェクトが政府援助で組めている。

    Q7: コミュニティーグループとの関係は?

    コミュニティーグループが劇団になって制作したものをスラムなどさまざまなところへ 持っていくという活動をしている。

    Q8: それは1950年代〜60年代の社会運動に由来するのか?

    (里見)そのとおりです。ラテンアメリカはどこも厳しい軍事政権だったが、その中でも さまざまな草の根的活動を行っている。チリでもスラムで演劇や歌が歌われている。 軍事政権下で、亡命者たちはもう駄目だと思っていたのだが、新しい文化が生まれて くるのである。また演劇の専門家が食えなくなってくるので町や村へ出て行き、そこ でさまざまな活動を起こしていくという面もあった。

    Q9: 日本とブラジルの比較をするとどのようなものか?例えば、新劇でも労働者演劇的な側面 や、アジプロ演劇があったが、ブラジルとはどのように比較できるだろうか?

    しかし、日本の労働者演劇は戦時中、移動演劇に吸収されてしまったのでは?

    (里見)ブラジルでは、労組は押さえつけられてしまったが、解放の神学的教会が場を 提供するので、逃げる場があった。それが現在の活動に反映している。