シリーズ講座『舞台芸術の現在』
Vol.5「加速する枠のゆらぎ〜ドイツ語圏の演劇・21世紀初頭の展開」
2009年11月12日(木) 19時〜21時
萩原 健
(明治大学国際日本学部専任講師)
《感 想》
〈演劇〉と向き合う際、われわれはどれほど無意識のうちに既成の概念や固定観念を前提としているだろうか。本講座はそれらを〈枠〉と定義し、その〈枠〉が大きくゆらいでいるドイツ語圏の現状を手がかりとして、21世紀初頭の現在における〈演劇〉をとらえなおしていく試みである。〈枠〉を越えるということが、新たなクリエーションの大きな課題であり意義深い点のひとつであるともいえるであろう。
数多の〈枠〉に対して常に意識的であり果敢な挑戦を続けているものとして、ドイツ語圏の演劇および文化行政がある。本講座は、数多くのドイツ語圏演劇を目の当たりにし、研究を続けている氏による、まさに時を同じくする状況についての報告となった。劇場パンフレットや新聞報道、映像など実際の現地の資料を多数用いることで、連綿と培われてきたドイツ語圏の劇場制度と今現在も変容を続けている状況が結びつき、ドイツ語圏演劇を支える堅牢な制度的基盤の実態、そのうえに成り立つ演出家たちの挑戦や新出の演劇集団によるクリエーションの詳細など、流動的かつ可変性とともにある生き生きとした現在が示された。さらにはそれらドイツ語圏の現状をふまえることで日本のアート・マネジメントや劇場の制度的課題および特徴が対照的にあぶり出され、大変示唆的な講義であった。
記録:山本彩加(早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程1年)
はじめに
今回、講義タイトルを〈加速する枠のゆらぎ〉と決めました。〈枠〉が揺らいでいる、その揺れの速さがどんどん速くなっている、というような意味です。それでは〈枠〉とは何か。たとえば、〈制作〉-作り手の側、〈観劇〉-受け手の側。このようにさしあたり何らかの〈枠〉を設定して物事をつくってはいないか。物事を観てはいないか。その際に、前提あるいは手がかりとしているもの、それを〈枠〉と呼びたいと思います。
例をあげてみましょう。ひとつは芸術分野の中でも美術や音楽とは別物とされる〈演劇〉という枠。そしてその演劇のなかでも、いわゆる〈ストレートプレイ(台詞劇)〉は、オペラやダンスとは別物とされます。さらにストレートプレイの上演を考えてみると、当たり前のようですが、舞台の上に俳優がいて客席に観客がいる。また、舞台と客席というのは、ひっくるめて〈劇場〉という枠であり、戸外とは別の空間である。そのような枠組みもありうるでしょう。さらに、本日のテーマ〈ドイツ演劇〉とは日本演劇やアメリカ演劇とは別物である、と、括弧付きの〈別物〉と見做すような〈枠〉を設定してアプローチをしてはいないでしょうか。
このような問いかけをしたうえで、具体的なお話にはいっていきます。今、私がお話をしている受け手であるみなさんはひとまずドイツ演劇の全くのビギナーであるとしてお話をします。
1.制度面について
シンガポールは、基本は移民の国としての歴史を持っている。
1-1 地理的背景-ドイツ語圏
タイトルにふたたび目をやってみましょう。〈ドイツ演劇〉ではなく、〈ドイツ語圏演劇〉です。ドイツ以外にオーストリア、リヒテンシュタイン、イタリアのチロル地方、そしてベルギーの一部でもドイツ語が公用語として話されています。また他に、公用語ではありませんが、かつてドイツが版図としていた国々であるポーランド、チェコ、それからハンガリーでもドイツ語がかなり通じます。大きな意味でのドイツ語圏とはかなり広いものといえます。ですから、今日の講義はドイツだけではなくオーストリアやスイスにも話が絡んでいきます。
1-2 歴史的背景-現在の16州が成立するまで
ドイツには現在16の州があります。そして各州に州都があります。ベルリン、ハンブルグ、ミュンヘン、そしてケルン。今挙げた4都市だけが100万都市です。
つまり、16州に人口がかなり均等に分散されていることになります。これには歴史的背景があります。1871年、プロイセンを母体として統一ドイツが成立しましたが、その1871年より以前は、日本でいう戦国時代のような多くの諸侯が群雄割拠していた状態でした。これが今に引き継がれています。現在のドイツの正式名称は〈Bundesrepublik Deutschland〉、直訳すれば〈連邦共和国、ドイツ〉、16の州が連邦として成り立っている共和国なのです。1871年以前からある諸侯国、つまり各州の看板となる代表的劇場が、その政治体制同様に今でもしのぎを削っているという状況です。日本でいえば東京、フランスといえばパリというように「その街に行けば、その国の代表的な芝居がみられる」とは限らないのです。良い意味でのライバル関係が各州にあります。
1-3 文化予算
文化予算については、ドイツ連邦共和国ではなく、州が権限を持ちイニシアチヴをとっています。州あるいは市町村のレベルでもかなり地方自治での融通が効きます。それに応じて民営の劇場でも多額の助成金がおりているところがしばしばあります。
ただ例外としてベルリンがあります。今日は2009年11月12日です。ちょうど20年と3日前の1989年11月9日、〈壁の崩壊〉が起こりました。壁が崩壊する前、ベルリンは2つに分かたれた都市でした。東西の両陣営が、文化の面でも壁を境に競り合っていました。だからベルリンには不必要なくらい劇場があります。オペラ座だけでも3つあります。資料として「ターゲスシュピーゲル(Tagesspiegel、「一日の鏡」)」というベルリンの地方紙を持ってきました。8月21日から9月2日までの約一週間、どんな芝居がベルリンでかかっているか、劇場のスケジュールが新聞の別刷りで折り込まれています。こういうことができるのも、各都市がそれぞれに地方紙で、地方、その街に限った情報を提供できるからなんですね。日本の場合だと、読売新聞や朝日新聞といった全国紙にそこまでの情報を載せることはできないでしょう。
1-4 劇場のシステム
- 三部門制と座付きカンパニー
ドイツの劇場には、俗に〈三部門制〉と呼ばれるシステムがあります。ストレートプレイとバレエとオペラの三つのことです。各州の州立または市立劇場は、この三部門すべてを上演できる空間を持っていることがほとんどです。
そしてこの三部門それぞれが座付きのカンパニーを持っています。劇場付きの俳優、つまり「私はドイツ座の俳優です」、「私はベルリナー・アンサンブルの俳優です」ということがありうる。むしろ、それが原則です。
- レパートリーシステム
〈レパートリーシステム〉の対義語として、いわゆる〈ロングラン・システム〉があります。〈ロングラン・システム〉は、その演目がうけなくなるまで延々とかけ続けるシステムですが、一方〈レパートリーシステム〉とは、その劇場がレパートリーとして持っている演目が日替わりで上演されている、というシステムです。一週間、毎日ちがう演目が上演されているので、旅行者には大変ありがたい。月曜日に『ハムレット』のある役で出演していた俳優が火曜日に『ウィリアム・テル』の別の役を演じていたりします。だから俳優のものすごい基礎能力が必要とされるシステムでもあります。
- 芸術監督
ところで、こうした統一テーマや演目は誰が決めるのか。各劇場には必ず〈芸術監督〉という人がいて、様々な方針を決めていきます。日本でも見受けられるようになってきました。世田谷パブリックシアターならば野村萬斎さん、新国立劇場ならば鵜山仁さんですね。先ほどのドイツ座の〈はじまり〉というテーマもドイツ座の芸術監督が決めたのです。
この芸術監督は、数年くらいを単位にして州あるいは市と契約を結びます。その際に自分のよく知ったカンパニーを引き連れてきます。考えてみると、日本のJリーグに似ています。Jリーグの監督と選手、コーチ陣。監督すなわち芸術監督が思うようないいパフォーマンスをみせるために、選手たちつまり俳優たちをコーディネートして、他の州に勝つような良いパフォーマンスを展開していく、というわけです。
- シーズン
Jリーグに試合が行われていない期間があるように、劇場にも芝居がかかっていない期間があります。7月から9月にかけてです。この約3ヶ月間、各州や市の文化担当官がいろいろと動き、劇場間での綱引きが行われます。良い芸術監督を引っ張ろうと担当者は数年がかりで準備をします。今年の9月3日、ドイツの週刊紙「ツァイト(Zeit、「時勢」)」におもしろい記事が載りました。2009年はとりわけ芸術監督が多く動く年で、この記事は一面全部を使ってそれを解説しているのですが、イラストでは大きくドイツ語圏の地図が描かれ、各都市をジェットコースターのレールが結んで、コースターに乗った芸術監督たちが街から街へと動いています。このように、芸術監督の去就は、一面ぶち抜きで報道されるほど話題になります。
- ドラマトゥルク
それから、役回り自体はあまり理解されていない気もするのですが、日本にもようやく定着したように思われる言葉〈ドラマトゥルク〉。これは元々ドイツ語の言葉で、例えるなら、演出家のスパーリング・パートナーといった存在です。演出家が暴走しないようにブレーキ役を務める。あるいは演出家に代わって文献調査などのリサーチを引き受ける。演出家が芸術面でのクリエーションに集中できるように、ほかの一切のことを引き受ける役割です。俳優やスタッフとの連絡役といったことも引き受けます。これはドイツには昔からあったものです。
1-5 代表的な劇場
ここからはドイツ語圏の代表的な劇場について紹介していきます。
- ドイツの劇場
〈ベルリン〉
ストレートプレイの劇場として、
ドイツ座(Deutsches Theater)
フォルクスビューネ(Volksb?hne)
シャウビューネ(Schaub?hne)
ベルリナー・アンサンブル(Berliner Ensemble)
マキシム・ゴーリキー・テアター(Maxim Gorki Theater)
の5つがあります。このうち最初の4つは来日も果たした劇場です。
〈ハンブルク〉
タリア・テアター(Thalia Theater)
ハンブルクのこの劇場は〈年間最優秀劇場〉にも選ばれました。〈年間最優秀劇場〉とはドイツの演劇雑誌「テアーター・ホイテ(Theater heute、「今日の演劇」)」が各劇場の芸術方針を評価して、毎年選出するものです。
以下は他の都市の代表的な劇場の名前を列挙していきます。
〈デュッセルドルフ〉
デュッセルドルフ劇場(D?sseldorfer Schauspielhaus)
〈フランクフルト〉
フランクフルター・シャウシュピールハウス(Frankfurter Schauspielhaus)
〈ミュンヘン〉
ミュンヒナー・カンマーシュピーレ(M?nchner Kammerspiele)
- オーストリアの劇場
〈ウィーン〉
ブルク劇場(Burgtheater)
- スイスの劇場
〈チューリヒ〉
チューリッヒャー・シャウシュピールハウス(Zuericher Schauspielhaus)
1-6 座付き作家
ところで、芸術監督は座付きカンパニーや俳優のほかに、座付き作家、座付き演出家も選任します。日本に縁のある作家を挙げてみますと、2005年に来日公演が行われた『火の顔』(Feuergesicht、初演1997)のマリウス・フォン・マイエンブルク(Marius von Mayenburg)。この11月から12月にかけて日本人キャストで上演される『崩れたバランス』(Die Verst?rung)のファルク・リヒター(Falk Richter)。二人ともシャウビューネの座付き作家です。それからフォルクスビューネにはルネ・ポレシュ(Ren? Pollesch)。またかつてシャウビューネに在籍していた人として、今年3月に新国立劇場で上演された『昔の女』(Die Frau von fr?her)のローランド・シンメルフェニヒ(Roland Schimmelpfennig)が挙げられます。
1-7 座付き演出家
次に座付き演出家を何人か挙げてみます。
- フランク・カストルフ(Frank Castorf):フォルクビューネ
- トーマス・オスターマイアー(Thomas Ostermeier):シャウビューネ
- ミヒャエル・タールハイマー(Michael Thalheimer):ドイツ座
- (クリストフ・マルターラー(Christoph Marthaler):フォルクスビューネ)
ここに挙げた三人のうち、二人(カストルフ、オスターマイアー)は座付き演出家であるとともに芸術監督です。『エミーリア・ガロッティ』を演出したタールハイマーはドイツ座に所属しています。四人目のマルターラーは、今はもう違いますが、かつてフォルクスビューネに在籍していました。
2.フェスティヴァルとフリーシーン
2-1 フェスティヴァルの充実
さて、ドイツの演劇シーンには以上に挙げた公共劇場以外の制作団体があります。そのひとつが〈フェスティヴァル〉です。劇場がシーズンではない間(7月〜9月)に開催されていることもあれば、コンテストやコンクールが行われ、それがフェスティヴァルになっている、という形態もあります。
そのひとつがベルリンのテアータートレッフェン(Theatertreffen、「劇場集会」)です。このフェスティヴァルで、〈年間最優秀上演〉が決められます。あるいは、演劇批評家の鴻英良さんが芸術監督をつとめていた、ハンブルクのラオコーン・フェスティヴァル(Laokoon Kampnagel)。ルール地方のレクリングハウゼンという小さな街で三年ごとに行われているルール・トリエンナーレ(Ruhrtriennnale)というものもあります。そしてミュールハイムでは、ミュールハイマー・テアーターターゲ(M?hlheimer Theatertage)。ハイデルベルクではハイデルベルガー・シュテュックマルクト(Heidelberger St?ckmarkt)。この二つはその年に発表された新しい劇作品のコンペティションで、リーディング公演のかたちで公開されています。
オーストリアでは、最近評価が高くなってきているウィーン芸術週間(Wiener Festwochen)というフェスティヴァルがあります。それからザルツブルクではザルツブルク・フェスティヴァル(Salzburger Festspiele)。日本では〈ザルツブルク音楽祭〉と紹介されていますが、そのはじまりは演劇祭でした。演劇の制作団体として、とても権威あるフェスティヴァルです。グラーツにはシュタイアリッシャー・ヘルプスト(Steyerischer Herbst)。〈シュタイアーマルクの秋〉という意味です。ここでも注目を集めるクリエーションが行われています。
2-2 フリーシーンの活発化
劇場、フェスティヴァルのほかに、どんな人たちがパフォーマンスづくりをしているか。私もこのように呼んでいいのか確信はないのですが、いわゆる〈フリーシーン〉があります。どこにも属していない、自由である、そういった人たちによるクリエーションが最近顕著になってきています。
いくつか名前を挙げていきます。まず、後ほど映像もお目にかけますが、リミニ・プロトコル(Rimini Protokoll)。次にクリス・コンデック(Chris Kondek)。彼はアメリカ人ですがベルリンでクリエーションをしています。そしてゴブ・スクワッド(Gob Squad)。ドイツ人とイギリス人のユニットで、たびたびフォルクスビューネやドイツ国内のフェスティヴァルでパフォーマンスを行い、イギリスのノッティンガム、ドイツのハンブルクとベルリンを拠点に活動しています。だから「〈ドイツ演劇〉を見に行こう」というつもりでいくと彼らはつかまえられないんですね。さらに、演出家のフォルカー・レッシュ(Volker L?sch)。かなり冒険的な演出をする人です。先日、ハンブルクで俳優全員がホームレスの人たちというクリエーションを行い、スキャンダルになりました。ハンブルクはとても裕福な都市なので、ホームレスの人たちを媒介に街を批判したというわけです。
注目すべき〈フリーシーン〉の活動の場が、ベルリンに一カ所あります。ヘッベル・アム・ウーファー(Hebbel am Ufer)、通称〈ハウ(HAU)〉という劇場です。この劇場は、ドイツでは珍しいことに座付きカンパニーを持っていません。基本的には貸し小屋です。ただ、芸術監督はいます。マティアス・リリエンタール(Matthias Lilienthal)という人です。おもしろいことに、この劇場は先ほど紹介した「テアーター・ホイテ」が選ぶ〈年間最優秀劇場〉に選ばれました。
この劇場は、いわば年がら年中フェスティヴァルをやっているようなスケジュールで動いています。パンフレットをお見せします。劇場は3つの空間を持っています。9月21日から27日までは〈民主主義の後〉がテーマ。次の9月30日から10月13日までは〈北風フェスティヴァル〉がテーマということで、北欧から様々な団体を呼んできました。10月14日から17日までは〈東京-渋谷 the new generation〉 というテーマで、日本のいくつかの団体がここで公演をしました。チェルフィッチュ、庭劇団ペニノ、それから快快(ふぁいふぁい)です。
3.オペラに進出するストレートプレイの創り手たち
それから、近年、目を引く現象として、ストレートプレイの分野で経験を積んだ劇作家や演出家のオペラへの進出があります。
3-1 クリストフ・マルターラー
先ほど名前を挙げた元フォルクスビューネの座付き演出家、マルターラー。彼は元々舞台作曲家の出身なので、オペラに進む節は前々からありました。当初から〈音楽劇〉という分野を彼は手がけているともいえるでしょう。
ここで、マルターラー演出のオペラをお見せします。あえてご紹介するのは、おそらく皆さんが想定している〈オペラ〉とは見かけが違うからです。
<作品紹介:Katja Kabanova 1998, マルターラー演出>
これはヤナーチェクというチェコ人が書いたオペラ『カーチャ・カバノヴァー』です。ロシアのアレクサンドル・オストロフスキーの原作を、ヤナーチェクがチェコ語でオペラにしました。ロシアの寒村に生活する嫁姑の葛藤が描かれています。嫁が夫のいない隙にアヴァンチュールをしようとする。そこに運悪く夫が早めに帰ってきてしまう。嫁は良心の呵責に苦しみ、最後にはヴォルガ河に身を投げてしまいます。
注目すべきは舞台装置です。ヤナーチェクが生まれ育ったチェコのブルノという街が暗示されています。家の壁や、実際のブルノの街におかれている屑籠。それから噴水。ロシアの寒村という原作の設定を、上演年の1998年、つまり壁崩壊後10年経った年のチェコの地方都市ブルノという街へとつなげ、世相や現状が伺いしれる演出となっています。だから服装もどことなくみすぼらしい。やや社会批判的なところもあります。これはザルツブルク・フェスティヴァルで上演されました。きらびやかな従来の〈オペラ〉を期待していた客からはブーイングの嵐だったそうです。
3-2 フランク・カストルフ、ミヒャエル・タールハイマー、ファルク・リヒター
カストルフもオペラを演出しています。2006年にヴァーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(Die Meistersinger von N?rnberg 2006)を手がけました。そしてタールハイマーもまた『カーチャ・カバノヴァー』(2005)を手がけました。彼の最新の仕事には『後宮からの逃走』(Entf?hrung aus dem Serail 2009)があります。
タールハイマーのオペラ演出も『エミーリア・ガロッティ』同様、ミニマルな身体表現が多用されています。これもまた、きらびやかな〈オペラ〉を期待する人には大変つらいものだと思います。とにかく動きが少ないのです。それからシャウビューネのファルク・リヒターによる『エフゲニー・オネーギン』(Eugene Onegin 2008)。演出はリヒター、指揮が小澤征爾。ウィーン国立歌劇場の公演で、東京で上演されました。
3-3 「劇場=座付きカンパニー」による制作
今まで名前を挙げた人々が実際にどのような活動を行っているかを見ていきましょう。幸いなことに、2005年〈日本におけるドイツ年〉というイベントがあり、これをきっかけに、より〈ドイツ演劇〉が目に見える形で日本で知られるようになりました。
〈代表的劇場の公演(数字は初演年、「jp」以下は日本での公演年)〉
- ベルリナー・アンサンブル『抑えれば止まるアルトゥロ・ウィの興隆』(Der aufhaltsame Aufstieg des Arturo Ui 1995 jp2005)
- シャウビューネ『火の顔』(Feuergesicht 1997 jp2005)
- フォルクスビューネ『終着駅アメリカ』(Endstation Amerika 2000 jp2005)
- ドイツ座『エミーリア・ガロッティ』(Emilia Galotti 2001 jp2006)
- シャウビューネ『ノーラ』(Nora 2002 jp2005)
ここでお見せする映像は、タールハイマーが手がけた『エミーリア・ガロッティ』です。この上演は2001年の〈年間最優秀上演〉に選ばれました。
<※映像資料:Emilia Galotti 2001, タールハイマー演出>
原作はゴットホルト・エフライム・レッシング(Gotthold Ephraim Lessing 1729-1781)。18世紀(※1772年)に書かれました。主人公はエミーリア・ガロッティ。アッピアーニ男爵と結婚するはずが、王子ゴンザーガがエミーリアに恋をしてしまい、男爵との結婚を阻もうとする。王子は部下のマリネッティに策を講じるよう命令し、エミーリアの母はその策略を事前に知るが、なにもすることができない。王子の愛人であるオルシーナは、その策略をエミーリアの父、オドアルドに告げ口する。
戯曲の第一場は、王子が執務室で部下のマリネッティに話しかける「今日はすばらしい気持ちで目が覚めた」という台詞からはじまります。けれどもタールハイマーは、その前にムーヴメントを付け加えました。戯曲で最初に登場するのは王子ですが、タールハイマーはエミーリアをまず登場させました。
目を引くのは、オーラフ・アルトマンの手による装置です。タールハイマーの仕事の七、八割はこの人と一緒の制作です。音楽はウォン・カーウァイ監督の映画『花様年華』(2000)のテーマ曲です。ムーヴメントと音楽がシンクロしていて、この舞台を「ダンスに近い」と評した批評家もいました。ちなみにタールハイマーはドイツ座の芸術監督が替わっても、引き続き座付き演出家です。
次にオスターマイアー演出、シャウビューネの『ノーラ』。これはドイツ語訳のタイトルで、『人形の家』として知られているイプセンの作品です。書かれた時代は19世紀末(※1879年)で、当時の女性がおかれていた近代社会を痛烈に批判した作品ですが、舞台を現代の家庭にうつして、夫に気に入られようと現代的に立ち回る妻ノーラが演出されました。ポイントはラストシーンです。ノーラは最後に家を出るのみならず、夫をピストルで殺害してしまう。もちろん原作には一切書かれていません。
4.〈フリーシーン〉による制作
次に〈フリーシーン〉での制作についてお目にかけます。2009年、東京で開かれた〈フェスティヴァル/トーキョー〉(以下、F/T)という国際舞台芸術祭で、いくつかの作品が日本でも上演されました。
4-1 Chris Kondek Dead Cat Bounce (2004 jp2009)
タイトルの〈デッド・キャット・バウンスDead Cat Bounce〉は株式市場で使われる言葉です。株式チャートはジグザグに推移する。このジグザグというところがポイントです。チャートが下がる時、その最中でも少しだけ上がることがある。この現象が、死んだ猫でもジャンプする、ということにたとえられています。この芝居、というよりパフォーマンスの独特なところは、劇場に来たお客さんに実際に株取引をしてもらう点です。投資するお金は、払ったチケット代金の一部で、公演時間中に1%の利益をあげることが公演の目的です。
<※映像資料:Dead Cat Bounce 2004 クリス・コンデック>
冒頭で、株式投資とは何か、そのやり方について簡単なレクチャーがあります。上演の際の問題は時差で、夜公演の時間帯には、上演される都市の株式市場は閉まっています。そこで、舞台には巨大なプロジェクターが設置されて、ベルリン公演の際はニューヨークの株式市場と、東京公演ではロンドンの株式市場とリアルタイムで繋がれます。このパフォーマンスを手がけたクリス・コンデックは、元々ニューヨークで活躍していたヴィデオ・アーティストです。過去にこの連続セミナーで内野儀先生が「マルチメディア的アメリカ」というタイトルで講義された時にも触れられていた〈ウースター・グループ(The Wooster Group)〉の出身です。
4-2 Rimini-Protokoll Karl Marx:Das Kapital, Erster Band (2006 jp2009)
次にリミニ・プロトコル。2005年に発表された『ムネモパーク』(Mnemopark)は2008年に東京でも上演されました。今回映像でお目にかけるのは、2006年制作、東京では2009年に上演された『カール・マルクス:資本論、第一巻』です。これは7月にNHKの芸術劇場でも放映されました。
<※映像資料:Karl Marx:Das Kapital, Erster Band (2009) リミニ・プロトコル-NHK『芸術劇場』2009年7月10日放送>
19世紀の経済学者で哲学者でもあるカール・マルクスの『資本論』が題材です。「とても有名な作品だが、実際に読んだ人はどれだけいるだろう」という演出家たちの疑問がそもそもの出発点でした。この上演の目的はそのテクストの内容を伝えることではありません。『資本論』という書物と多かれ少なかれ関わりを持っている人、関わりはないけれどその生きざまが『資本論』の内容と関わっている人、そういう人たちをリサーチして、その本人を舞台に上げました。それぞれ、自分と『資本論』の関わりを語ることもあれば、その生きざまを語ることもある。テクストと、自分史、生の歴史がコラージュされていく、という仕組みです。今回の日本公演に関しては、「日本ヴァージョンもつくりたい」という彼らの意向で、日本人もキャスティングされました。上演テクストには〈使用価値〉や〈交換〉といったマルクス経済学を特徴づけるキーワードが散りばめられています。
リミニ・プロトコルという演劇集団は三人の演出家を核にしています。特徴は、所属する俳優がいないということ。毎回、プロジェクトにあわせて出演者が集められます。冒頭でも述べた、いわゆる演劇の〈枠〉ともいえる、既存の戯曲作品の世界を示すというアプローチは全くとられておらず、その意味では、彼らは劇団というよりアート・プロジェクト・ユニットと呼んだ方がいいかもしれません。
4-3 Rimini-Protokoll Cargo Sofia-X (2006 jp2009)
それから、同じくリミニ・プロトコルによる『カーゴ・ソフィア-x』(2006)。
<※映像資料:Cargo Sofia-x 2006 リミニ・プロトコル>
何故“x”なのか、というのがポイントです。ブルガリアの首都ソフィアから、公演が行われる都市までの道のり、これが物語そしてテーマとなっています。大きなトラックの荷台を改造して客席にし、実際に長距離輸送を生業としているブルガリア人ドライバー2人が運転します。ドライバーたちがどのような毎日を過ごし、どのように物を運んでいくのか。そして彼らの故郷ソフィアでは、どんな家族が待っていて、どんな同僚たちがいるのか。そんなことを、トラックの荷台に横座りになった観客たちは耳にしていきます。運転席にはカメラが仕込まれていて、荷台の内壁にあるスクリーン上に、ドライバーたちが実際に運転する様子が映し出される。またこのスクリーンは時にせり上がって、外の景色がマジックミラー状のガラス越しにみえる。上演場所がケルンなら、事前に録画されたソフィアの光景が見て取れたり、ケルンの道路が眼前にひろがったりするわけです。
このプロジェクトは好評で、ケルン市立劇場が、ある時期のレパートリーのひとつにしました。また、今月(2009年11月)から日本ヴァージョンが東京と横浜のあいだで上演される予定です。
5.まとめ - 従来の〈枠〉に対する問題提起
20世紀と21世紀で入れ替わるように、というとやや強調しすぎですが、前半に紹介した、従来からある劇団や劇場が制作した舞台と、活発になってきたフリーシーンの動きがあります。
最初に掲げた、「演劇というものは美術や音楽ときっぱりと分かたれるものだろうか」という問いに戻ります。たとえばリミニ・プロトコルのように、アート・プロジェクト・ユニットという見方もできる演劇集団があります。それから、オペラに関心を持ち積極的に関わろうとする演出家たちも注目すべき存在です。あるいは、「ダンスやファッションショーに近い」との評を受けるタールハイマーのような演出もある。ひいては『デッド・キャット・バウンス』のように、観客が従来の〈枠〉を越えてイニシアチヴをとり、俳優もしくは参加者となるケースもある。また、上演は劇場で行われるとは限らない。『カーゴ・ソフィア-x』のように、外の世界と内の世界が逆転するようなパフォーマンスもあります。さあ、たとえばベルリンとニューヨークをリアルタイムで接続した『デッド・キャット・バウンス』は〈ドイツ演劇〉でしょうか。それとも〈アメリカ演劇〉なのでしょうか。
以上のように見てくると、〈枠〉があらゆる点で揺らいでいる、ということが言えるのではないでしょうか。このシリーズ講座のタイトルは〈舞台芸術の現在・パブリックシアターのためのアーツマネジメント講座〉といいますが、「舞台芸術」を直訳すると、〈ステージ・アート〉でしょうか。本日お話ししたような動き、あるいは潮流をみるにつけ、〈ステージ・アート〉のみにとどまらないマネジメントとそのノウハウが、ドイツ語圏に関してだけではなく、これからは求められてくるかもしれません。
[映像資料]
Katja Kabanova (1998) Christoph Marthaler 演出
Emi
lia Galotti (2001) Michael Thalheimer 演出
Dead Cat Bounce (2004) Chris Kondek
Karl Marx:Das Kapital, Erster Band (2006) Rimini-Protokoll (NHK『芸術劇場』2009年7月10日放送)
Cargo Sofia-X (2006) Rimini-Protokoll