講座の内容記録 2009

舞台芸術論
シリーズ講座『舞台芸術の現在』
Vol.3「21世紀のフランス語圏演劇ー「演出家の時代」の終わり、ドラマの回帰?」
 
2009年10月9日(金) 19時〜21時
横山 義志
(SPAC-静岡県舞台芸術センター)

《所 感》

現在進行形の創造活動が、演劇の歴史のなかにいかに位置づけられるかを考える機会は少ない。また作品創造プロセスに時代や場所による特徴がみられることも 、あまり触れられない点である。本講義では、日本では一般的な「劇作家=演出家」という存在が、フランスでは演劇創造の新しい潮流として注目を集めている現象とその背景について、ヨーロッパ演劇における古典主義の成立にまで遡って俯瞰的に紹介された。ピィ、ポムラ、ムアワッドらの作品世界を彼らのキャリアとともに同時代人として体験され、さらに世田谷パブリックシアターとSPACでの国際共同制作の現場にも立ち会われている講師によるレクチャーは、演劇創造を支える制度の日仏間の違いまでをも浮き彫りにしてくれるなど、多方面にわたって示唆に富んだものだった。
記録:長嶋由紀子(東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻博士課程 /早稲田大学演劇博物館GCOE研究助手)
演出家がスターの時代が過ぎ、ピィ、ポムラ、ムアワッドなどといった、フランスでは新しい存在である劇作家兼演出家が注目されている。本日はこうした人々の活動を紹介したい。フランス現代演劇の背景から始めていく。
◆フランス演劇との出会いについて
世田谷パブリックシアターで10年ほど前にアルバイトをしていた際に、『フランス現代演劇の一年』(1999年〜2000年)に関わることとなった。PTで特集号が組まれたりもして、フランスの最先端の演劇が世田谷パブリックシアターでみられた。たとえば、ピーター・ブルック、フィスバック、J・ナジなどの作品だが、同時に戯曲ではコルテス、オリヴィエ・ピィもとりあげられた。彼らは当時、それほどビッグネームではなく、その後注目されるようになった。目のつけどころがよかったと思う。

2000年前後は転機(=終わりの始まり)だった。
代表するのがフィスバック(1966年生まれ):『ソウル市民』、『屏風』
今日紹介する人はみな60年代後半生まれ。

フィスバックの現場をみて驚いたのは、俳優側からアイディアがでるのを待っており、強権的な演出家のイメージが覆された。たとえばフィスバックは次のように言っている。「少し前の時代の演出家たちはどちらかというと教育的。若い人たちの傾向は、想像力を刺激したりとか、いま舞台でやっていることで終わりじゃなくて、それが何かのきっかけになればよいと考える方向にある。観客との関係を非常に重視している」(PT 9号、2000年1月)フィスバックは、このように考えるからこそ、国際コラボレーションに興味をもったと思われる。プロセスに興味を持っていると言えるだろう。

フランス演劇において「演出家の時代」は2つの時期に分けられる。まず、19世紀終わりに劇作家に奉仕する演出家が誕生する時代。その後、演出家の方が主役になる時代。通常いわれる狭義での演出家の時代は、1970年代以降をさす。

こうした演出家の存在の前提となるのは、多くの人が共有する教養としての古典があること。こうした古典を知る演劇好きの人であれば、演出に目がいくことになる。まったく初めて見る作品ではテクストと演出を分けて考えるのは難しい。演出家の時代は、古典主義を前提にしているが、古典が共有されていない日本ではこうした形は考えにくい。たとえば、日本では現代が舞台で、日常の言語で舞台が展開する。しかし、一方、フランスではもっとも多く演じられている作家は最近まではモリエールだった。現在は、シェイクスピア、モリエール、ラシーヌ、マリヴォー、ブレヒトの順(2008)となっている。フランスの演出上の不文律は、テクストに手を加えないこと。日本のようにテキレジは行わないので、このことを理解しておく必要がある。

◆ヨーロッパ演劇における古典主義

同時代の作品よりも古典の上演が多かった時代はヨーロッパ演劇史上2回ある。まず、18世紀の国民国家が完成した時代。それから、ヘレニズム時代、つまりアレクサンダー大王の時代。

ギリシア、アテナイが民主国家だった時代は新作ばかりやっていた。大まかな筋書きと決めせりふは決まっている日本の神楽のようなものだった。マケドニアの勢力下にはいったときに、三大悲劇作家の作品を神に奉納した。現在ちゃんと残っている悲劇はアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスのものしかない。

アリストテレスが昔の台本を集めて『詩学』を書き、昔の作家の作品を読むことが行われるようになった。こうしたアリストテレスの影響を受け、アレクサンダー大王の時代に、このような政策が行われたのは、広大なギリシア語圏を成立させるのにもっとも有効な手段が演劇だったからだ。各地でペルシャ人、エジプト人のこどもにギリシア悲劇を暗唱させて言語を修得させる。各都市に劇場をつくってギリシア語を覚えさせる。そうして共通言語が成立した。

劇作家ではなく、同じ戯曲をどのように上演するかが注目され、スター俳優の演技が関心の中心になる「俳優の時代」が出現した。古典の上演は、言語教育と関係が深い。

フランス近代の古典主義は、2段階に分けられる。まず、1)17世紀:ギリシア・ローマの規範にならう。コレギオではラテン語で会話、学習する。ルネッサンス:ギリシア・ローマの復興。2)18世紀:17世紀フランス作家が規範となる。ヘレニズム時代と逆の現象で、フランスで書かれた作品が古典になっていく。同時に、18世紀くらいから教育の言語もフランス語になっていく。その中で、演劇作品をみることによって、近代語であるフランス語や英語の規範を身につけるようになった。

また、classicの意味も、近代の解釈では、学校のクラスのなかで読まれる作品ということになっているが、語源としては、上流階級のクラスから来ており、もっとも権力をにぎっている人々のための教養という意味がある。対意語はプロレタリア。

1635年にアカデミー・フランセーズが設立された。ラシーヌやコルネイユはもっとも洗練されたフランス語(宮廷の言葉)の普及に貢献した劇作家といえる。そして、アレクサンダー大王がつくった教育システムと類似した様式で、各国の劇作家が各国の文化を形作るようになり、またテクストに手を加えない姿勢が生まれた。音楽の分野でも18世紀くらいから過去の作品を演奏するようになった。

演劇人は、16世紀までは河原乞食、娼婦と見なされていたが、17世紀ごろから、上記のシステムにとりいれられることで演劇人の社会的地位がみとめられた。アカデミー・フランセーズのおかげで17世紀の言葉が保存され、現在聞いても理解できる。

フランスでは、なによりもテクスト・言葉が大事にされており、逆にいうと言葉さえ変わらなければ他を変更してもよくなっている。だからこそ、演出が重要になる。比して日本では型が重視されている。演出家は古典に秘められた意味にアクセスできて、視覚的に表現できるひとで、教養があり、また、知の再生産のシステムのなかにインテグレートされた存在だと捉えられている。

1960-70年代のバルトなどの劇評をみると、ヴィテーズやシェローがテクストをどう読み、分析して、ヴィジュアルにどう表現したかが論じられている。演出自体があたかも読まれるものであるかのように論じられる。つまり、演出家自体が作家のようにみられるのが「演出家の時代」だといえる。
◆「演出家の時代」の問題点
PT同号でのドゥ・ヴォス先生の談となるが、ジュネ以降の1980年代以降、重要な劇作家があまりでてこない。シェローがコルテスをとりあげたのは例外的だった。2000年に佐藤信がコルテスをとりあげている。ラガルスも世田谷パブリックシアターでとりあげられた。ラガルスはコルテスを超えて、現代の劇作家では上演回数が最多。だが演出家の時代に、新作はあまり多く誕生しなかった。

ベケット、イヨネスコ時代はパリの民間劇場が新作リスクを引き受けていたが、ミッテラン、ラング時代にあちこちに公共劇場をたてて公共劇場間の巡回によって一本の作品が成立するようになった。そのため1990年代まで、古典の新演出を公共劇場で上演することが主流になっていく。そして、2000年代になってから徐々に劇作家兼演出家が力をもつようになった。それは何故か考えていきたい。まず、劇作家兼演出家の人々を紹介する。
◆劇作家兼演出家の時代
1. オリヴィエ・ピイ 1966年生まれ
世田谷パブリックシアター2000年フランス演劇特集における佐藤信演出のリーディングでとりあげられた。『お芝居(Théâtres)』とピィの劇団の俳優エリザベット・マゼフによる『おかしな奴ら(Les Drôles)』。

ピィはゲイでカトリック。『お芝居(Théâtres)』の主人公は彼自身。初めて性にめざめたのはキリストの磔刑像をみて。1997年、オルレアン国立演劇センターの芸術監督に就任。2007年、パリ・オデオン座の芸術監督となる。
静岡県舞台芸術センターのフェスティヴァルでとりあげたピィの作品を紹介する。
○『イリュージョン・コミック―舞台は夢 (Illusions comiques)』(Shizuoka春の芸術祭2008)
近代市民社会(=国民国家)がつくりあげてきた文化<制度(institution)>の一つである。市民社会のニーズに応えた舞台芸術の創造と、その成果を広く市民社会が享受する基盤である。
○『若き俳優への手紙』(Shizuoka春の芸術祭2008)
テーマはイリュージョン・コミックと類似。演劇そのものが主題。悲劇の女神の前に次々に現れる演劇の敵を論破する。正面から演劇の価値を語る。コンセルヴァトワールの学生向けに書いた演劇。ピィの演劇論は神学と類似している。演劇とは、舞台上で起きるincarnation 受肉の奇跡。言葉が肉をもつことが演劇の本質。ピィは神学も学んだ。しかし、受肉の概念の理解が神学とは異なり、ピィが重視するのは言葉ではなく“肉”の方。
○『グリム童話』(Shizuoka春の芸術祭2009)
俳優、衣装、舞台監督も楽器を担当。劇団に近いシステムをもっている。
『少女と悪魔と風車小屋』(原作『手なし娘』)
生きていること自体が奇跡だと気づいてくれ、というメッセージ。今生きている世界が神の摂理でできている奇跡の世界、がピィのテーマ。
ピィ作品の一つの特徴としては、上演時間が長いことがあげられる(『繻子の靴』11時間半)。作品ごとに人を雇うシステムでは人件費がかかるが、ピィは、劇団システムをとっていることで上演可能になっている。日常生活のなかで見えてこないものをスケールの大きな世界で実現しようとしている演出家といえるだろう。また、劇団制を取っているために、劇作家兼演出家のために、「あて書き」ができる。そのほかの、ピィ作品の特徴としては、舞台装置が安っぽいこともあげられる。言葉を観客と共有することで初めて成立する舞台という点で1980年代の演出家の時代の作品とはかなり違うといえるだろう。
2. ジョエル・ポムラ
ピィによれば今フランスで最高の詩人。フランス演劇界ではめずらしくエリート出身ではなく、俳優から下積みを経て注目をあびる。1963年生まれ。劇団をつくったのは1991年。大きな注目を浴びるようになったのは2004年くらいから。
○『商人』2006年 『私は震える』2007年
ピーター・ブルックに気に入られて、ブッフ・デュ・ノール劇場のアソシエート・アーティストになる。劇団形式をとることで独特の世界をつくっている。リアリズムとポエジーが同居した不思議な舞台。

「真のAuteurとなるために演出家となった」と言っているが、演劇において最終的に意味を決定するのは、劇作家ではなく演出家だという考え方、つまり演出家の時代を経験した世代。演出家の時代をじゅうぶんに経験していない日本の作家とは意識が違う。

ピィに比べるとはるかにリアリズムに近く、現代の生活を描くことが多い。舞台が暗いことが一つの特徴。ブラック・ボックスをつくって見えるものと見えないもののあいだで仕事をする演出家という考えで、その前の世代の演出家、クロード・レジの影響を受けている。知覚の“閾”を意識。あるものとないもの、みえるものとみえないもの、きこえるものときこえないものの間が重要。「リアルなものにしか興味がない」が、これは、いわゆるリアリズムとは異なる。「思考を混乱させるものをつくりたい」「答えよりも問いをつくりたい」とも言っており、ふだんみつめることのないリアルをつくりたいと考えている演出家。
3. ワジディ・ムアワッド(1968-)
カナダ・ケベック州。レバノン出身。ケベックの演出家としてはロベール・ルパージュが有名だが、そのルパージュがディレクターをつとえていたオタワ・フランス語劇場のディレクターをつとめている。

フランスはレバノンのキリスト教徒を支援していたので、レバノンからフランスへの亡命者が多い。ムアワッドは8歳のときに家族と共にフランスに亡命、15歳のときにケベックへ再移住。カナダの演劇学校で演劇を学ぶ。

2000年にカナダ総督賞を受賞している早熟な演出家。2005年からフランス、シャンベリー国立舞台のアソシエート・アーティストとなり、劇団をもつ。劇団の俳優にあわせてテクストを書き、稽古をしながら練りあげていく。2009年、アヴィニョン演劇祭アソシエート・アーティストになる。2009年10月28日から、東京でピープル・シアターがムアワッド作品を上演。

作品としては、『Seuls ひとり』。2009年アヴィニョンでは“約束の血”三部作『浜辺』『火事』『森』。ムアワッドの魅力としては、家族の話などをしながらも世界観が大きいところ。
◆さいごに
フランスではカンパニー制度よりもプロデュース制になっている。演出家は予算とプランを机上で組み立てることが主流になりつつある。基本的には一期一会の関係になってきている。面倒を避けるのであれば演劇をやる意味はないのではないか。演劇は思考を身体の時間にあわせる作業ではないか?自分の身体だけではなく、他人の身体にも時間をかけてあわせていく作業。3人の演出家はよく「演劇が世界を救う」と言う。演劇をやることで自分は救われたという経験をし、その経験を共有している集団がある。

哲学と宗教の違いは、よく身体を変えるかどうかだと言われるが、その意味では演劇は哲学よりも宗教に近い。テクストを身体の両方をつかって演劇をつくることで“救われた”と感じる人がフランスにもでてきたということか、と考えている。
質疑応答
Q1: ドラマの回帰について

・ドラマの回帰:フランスでも言われている。ポストドラマ演劇が一時ブームになりかけた が、実際にはフランスのカンパニーで成功したところはあまりない。成功したのはフラン ス語圏ベルギーのカンパニー、ドイツのカンパニー。フランスではほんとうにドラマが主 流でなくなったことはなかったのではないか。

・演出家の時代が後景に退いて、物語自体に着目する動きは出てきたといえる。

Q2: 日本では劇作家兼演出家は年に何本も発表するがフランスでは?稽古期間は?

・新作発表は1年か2年に1本。公共劇場のネットワークが成立しているので、1本作れば 1年から2年間やっていける。

・俳優について
アンテルミッタン。舞台芸術の芸術家に適用される特殊制度。一定日数をクリアすれば 舞台芸術の専門家として認められて失業保険が適用される。年に1本で生活が成り立つ。

Q3: 一言で表すフランス演劇の魅力とは?

一番はじめに驚いたのはBGMがないこと。テクストの演劇ということに絡むが、ある種、 非常にいろいろな規制のなかで(たとえばテクストを変えないなど)仕事をしているところ がある。フランス語圏の劇作家は、同時代の作家だけではなくラシーヌ、モリエール、 ソフォクレスなど古典の作家がライバル。大きな歴史を見据えて、大きな作品をつくって いる人が日本よりも多いのではないかと感じている。

Q4: 劇団制度が少ないということだが、今日紹介された演出家はいずれも劇団をもっている。 これは今日的な傾向なのか?

演出家の時代にはカンパニーが減っていった。一時期は太陽劇団くらい。演出家の時代には、 他国から人が来るなど、毎回プロジェクトごとに人を集めることが多かった。実際には 若手の人は劇団で活動していて、ある程度食えるようになると劇団から離れるということが よくある。

Q5: 演出家が上から命令するのではないという話だったが、自己主張が強いフランス人同士の なかで、数ヶ月で一つの作品が成立するのか。

生き物なので毎回変わる。本番のなかでどんどん変えることはある。劇団制度とプロデュー ス制度の違い。演出家の時代は、演出家が絶対的な権力をもってすべてを決めていたが、 それはそこにいる俳優を知らなくてもできる。劇団制度では、俳優を知ったうえで活動する。 長い間一緒に生きている、前提を共有したうえでの活動。絶対的権力は成り立たず、ある 程度の対話が必要になる。

Q6: 1本つくればフランス中の劇場を回るということだが、実験的作品でもフランス中の劇場に かけられるものなのか?

他劇場での実績があれば可能。例:ポムラ作品。

Q7: フランスで観客はどのように育っていくのか?

観客の育成はフランスでも大きな課題。日本と違うのは、誰もが演劇のテクストを知って いること。国語教育のなかでコルネイユやラシーヌが扱われる。演劇がメインで扱われる。 1980年代から国立演劇センターが各地で次々にできた。ピィはオルレアンという地方都市 で自分の作品をみてもらわなくてはならなかった。実際に自分の作品をつくりながら、観客 をつくる努力をしないと成立しない。観客育成事業、ふだん演劇をみない層に働きかける。

Q8: 国家=公共劇場ではないと思う。多民族国家のフランスで古典にフランス出身でない人たち も関われるのか?多様な身体性の問題は?

演劇を言語政策に用いたのはうまいやり方。“学べ”と押しつけるのでは成功しなかった ところを、演劇の魅力で。演劇は原理的に複数の異なった声を必要とするメディアでもある。 公的な権力にちかいところにいながら反逆的なこともやる。一種のあそびをもたせる。