『世田谷パブリックシアターの演劇ワークショップ』
C:演劇ワークショップをワークショップで考える
「演劇ワークショップの目指すもの」
2011年1月13日(土) 10時〜17時
すずき こーた
(世田谷パブリックシアターファシリテーター/演劇デザインギルド理事)
《所 感》
演劇以外でも多くの場にワークショップ(以下WS)という名前がつけられている。今回、すずきさんは演劇WSというよりもワークショップ全体について私たちに問いかけ、そして、すずきさんの演劇WSが理想としているものの一端を体験させてくれた。それはあくまでも“体験”であって“教える”ではなかった。レクチャーや講義ではどうしても教える−教えられる、言う−聞くの関係が出来てしまう。それを極力避けて参加者に考えてもらえるように本WSが組み立ててあるのが感じられた。しかし、体験しただけではそれが何なのか、何の意味があるのかわからない参加者も多かったと思われる。午後のWSに関してのディスカッションではWSの明確なイメージは現れなかった。しかし、だからこそ意義があったのだと思う。WSは非常に注目されているし、大事だと思われる。しかし、なんで注目されているのか、なんで大事なのかを考え合う場というのは少ないのではないのだろうか。本WSはWSというものの存在を考えさせられた有意義な時間だった。
記録:渡辺タケシ(青山学院大学社会情報学研究科博士前期課程在学)
※本記録は、講座の記録をもとに、講師による加筆を加えて掲載しています
● 演劇をつくってみる(午前)
人数分の椅子を持ち寄り、円になってWSが始まった。すずきさんはWSを定義することは難しい、と言う。この回ではすずきさんの演劇WSが目指しているものや理念を伝えたいということだった。先のレクチャーが話すことが中心だったため、今回は身体を動かすことになった。最終的には演劇をつくることになった。
・なんでもバスケット(10:05)
円陣から椅子を一つ取り、椅子に座れない人を1人つくる。その人が真ん中に立ち、「朝ご飯を食べた人」「時計をしてる人」など人の特徴をいう。その特徴に当てはまる人は席を移動しなければいけないというゲーム。
<出てきたもの>
- 「靴下をはいている人」「今年になってからみかんを2 つ以上食べた人」
- 「昨日、携帯を使ってない人」など
・お絵描き他己紹介(10:15)
ペアになり、向かい合ってお互いの顔だけを見ながら(つまり紙は見ないで)お互いの顔を描く。紙を見させないことによって絵の巧い、下手を回避する仕掛けになっている。
- 似顔絵作成
- 各ペアで順番に2分づつインタビューをし合う。今日どういうことを期待しているのか、どういうことになったらよいのかにフォーカスしてインタビューする。
- 円になってペアで紙を交換する。先ほどのインタビューをもとにそれぞれを全員に向かって紹介し合う。
<出てきた期待>
「一人で悩まないでシェアしたい」「すずきこーたさんの戦法を知りたい」
「WSについていろいろ吸収したい」「いいWSとそうでないWSの境目が見たい」など
・スリランカの唄(10:50)
「スランガニータにお魚を持ってきたよ」という歌詞のスリランカの唄を歌う。唄には振付けがある。
- 唄の内容を説明する。
- 振付けの内容を説明する。1番では1、2、3、4のリズムに合わせて自分の膝、右隣の人の膝、自分の膝、左隣の人の膝、と軽く叩く。
- 振付けのレクチャーをする。2番では唄のさびの部分だけ1、2、3、4のリズムで右手右膝左手左膝、右手左膝左手右膝、と交互させ、4で拍手する。
- 振付けのレクチャーをする。3番は1、2、3までは2番と同じで4の所だけ片手で鼻をつまみ、片手で耳をつまむ。
- 1番から3番まで振りをつけて唄ってみる。
・シェイプ(11:00)
すずきさんの言うものの形を参加者が身体だけをつかって表現する。
- 1人でコーヒーカップをつくる。
- 1人で椅子をつくる。
- 2人で椅子をつくる。
- 2人でお財布をつくる。(実際に開く)
- 3人組でポットをつくる。(実際にお湯を出す)
- 4人組で犬をつくる。(実際に歩いてもらう)
- 2グループに分かれて『こ』がつくもの、『た』がつくものの作成をする。
<発表会>
『こ』チームがコンニャク、『た』チームがタケノコをつくる。それぞれのチームがそれぞれのチームを観賞し合い、何をつくったのかを当てっこをする。
- 各チーム1人づつ増やし、今度は場所をつくる。1人だけ人間は出てきてもいいというルールが追加される。
<発表会>
『台所でホットケーキを焼く』と『歯医者』のシェイプが出来上がった。『台所で』では人が人を卵、冷蔵庫、フライパン、ガスコンロに見立ててホットケーキをつくり、食べる作品だった。『歯医者』では患者は登場しないが医師役の人、また、ドア役、椅子役、ドリル役の人が患者に対応するかのように振る舞うことで患者を見せる作品だった。
・寸劇(11:50)
各チームに外国人法基本法案についてのブックレット(外登法問題と取り組全国キリスト教連絡協議会発行)のコピーが渡される。その文章に基づいた演劇を各チームがつくる。
- チームを変えて、作品づくりをはじめる。
- 発表会
<うさぎとかめと犬>
うさぎと亀の学校を舞台にして差別が誕生し、時間が経過して忘れられ、しかし、違和感からその慣習を変えようとする存在が現れ、また、一方で新しい差別が生まれる、という内容を披露した。
<外国人配偶者の親権>
外国人籍に配偶者をもつ家庭の親権についてを演じた。同時進行で二つの場面が進行したり、先に与えられたテクストを複数回音読したりする演出が加えられた作品だった。
<すずきさん総括>
WSをして、演劇をつくるときには参加者は誰に見られるのか意識してやらないといけない。演劇WSを通して参加者は外国人法基本法案についての当事者の意識、また、周辺の人間の意識、そして、その現実がどういうものなのかを別の参加者にどうしたら伝わるのかを考えたと思う。
● 休憩(12:45)
● WSを様々な視点で考える(午後)
・WSと言って思いつくこと(13:45)
- WSといって思いつくことを一言ずつ10枚くらい緑色のポストイットに書きだす。
- 2.4、5人組になり、各グループに大きい模造紙が配られる。その紙に先のポストイットを貼る。その際に意味の近いものを近くに、遠いものは遠くに貼る。(作業が進むうちに青色のポストイットに意見を追加して貼ってもよい、というルールが追加される。)
- 大きい模造紙を床において、それぞれのチームを全員で見て回る。
- 気になるキーワードを挙げて記入者に理由を聞く。ディスカッションをする。
<この時あがった独特な言葉>
のどを大切に…体育館などで大きな声をだすから。
地方…記入者が地方でのWSが多いから。
BE…在り方。
お別れ…人が集まり、数日でお別れをするから。
変化球…嘘をついたり、かわしたりするから。
溶ける…はじめて会った人との緊張が解ける。
疑う…“普段”や“前提”を疑うから。 など
・WSはどういうところで機能するか(15:20)
- WSが有効に作用すると思われる場面、またはWSが必要と思われる場面を考えてポストイットに書き出す。(自分が経験したことでも、経験はないがやってみたい事でも良い)
- グループにわかれ、大きい模造紙に貼っていく。
- 全体でディスカッション。
<このとき出たキーワード>
ネット…場所を気にしないでよいのでインターネット上で。
採用…入社面接時に。
お金持ちと…価値観が違うと面白いと思うし、いい場所でできると思う。
フィットネス…場所が広いので。
工場…機械的な工場のラインで機械的でないWS は面白いと思う。 など
・彫刻/シェイプ(16:15)
2人組になる。ペアで1番と2番を決める。1番の方が彫刻家、2番の方が粘土になる。言葉は使わないで相手をイメージするものに造形する。
テーマ1『怒り』(距離を置いて見たり、近づいて見たりする。)
テーマ2『悲しみ』(誰かの作品と誰かの作品を合体させ、もっと『悲しみ』になるシーンの作成)
テーマ3『危ない』の群像(4人組になり、誰か1 人を彫刻家の役割にする。)
<つくられた作品>
“刺されそう”
“転びそう”
“不倫”
“子どもが指を鋏で切りそう”
テーマ4『WSってこういうもんだな』(6 人4 チームになる)
<つくられた作品>
- 目線だけで語り合いながら一つの偶像をつくった。3つの作品は1つが6人が立って円になり、真ん中で手を重ねているが目線は全く違うものだった。場は共有しているが多面的な目標、視点があることを表したという。
- 別のものは絡まりあった人間が、次第に揺れ始めて離散するものだった。これはつくっているうちに楽しくなってしまったため、こうなったという。WS自体とは少し離れてしまった。
- 全員が円になって寛いだ様子で座っているものだった。これは参加者全員がリラックスしている1シーンだという。彫刻にインタビューもした。
結.演劇WSの目指すもの(17:00)
すずきさんはWSのゲームは3つほどがよいのではないかという。知り合うということだったり、演劇をつくることだったり、機能の違うゲームを3つ組み合わせれば場をつくれる。今回は演劇WSの目指すものというよりもすずきさん自身が目指すWSの紹介であった。すずきさんの理想のWSはすずきさんの言葉が少ないWSだという。つまり、参加者がお互いのことを尊重しながら共有していく場である。そういった場を目指すにおいて、参加者が「WSを受ける」といい、また、ファシリテーターも「WSをまわす」という表現は適切ではないのではないかと指摘した。
確かに、午前の演劇をつくるアクティビティではWSを「受けている」人は少なかったと思う。積極的な参加者の参加があったから2チームでまったく違った個性の作品が出来たのではないのだろうか。「外国人法基本法案」という1つの法案が個人、また集団に与えうる影響を2つの作品はそれぞれまったく違う角度で描いていた。法案についての内容、意味であれば教えてもらう(受ける)ことはできる。しかし、法案が自分にもたらす影響、法案が喚起する感情については教えてもらうことは出来ない。このように演劇WSの目指すものの1つは何かの状況に実際に身をおいて、自分がどう思うか、どう行動するかを体験することであり、また、自分の行動を理解することによってそういった場面に置かれるかもしれない他者を想像し、共感する力を作ることにあるだろう。しかし、どんなにWS中に参加者が参加していたとしても大半の参加者は全体のWSに対しては「受け」にきているメンタリティーが強いのではないだろうか。ファシリテーターとしてWSの中で参加をどれだけ促しても終わったあとに「受けた」と言われることは辛いことだろうと思う。自分の理解と他者との共感の醸成も演劇WS の目指すものだが、「受けた」と言わせないWSも演劇WSの目指すものなのかもしれない。