講座の内容記録 2010

創造の現場
『世田谷パブリックシアターの演劇ワークショップ』
B:世田谷パブリックシアターの演劇ワークショップ事例紹介
「世田谷パブリックシアターのワークショップの広がりと可能性〜福岡での事例を中心に」
 
2010年12月7日(火) 19時〜21時
柏木 陽
(世田谷パブリックシアターファシリテーター/演劇百貨店店長)

《所 感》

「なぜワークショップ(以下WS)を劇場の外でやるのか、福岡の事例から考えたことを話したい」という問いかけから始まった本講座は、講師の柏木さんの問いが展開する中で参加者もいろいろ考えさせられる、一種のWSのような講義だった。

柏木さんの言う「すきま」は、すきまによって固定観念を揺るがせ、それ以外の在り得る可能性に思いを馳せるきっかけとなるものだ。可能性の広がり、それは人間の自由の問題につながるのではないかと感じた。「すきまが集まると広場になる」、そして「劇場は広場である」なら、劇場は演劇というフィクションを武器にして人間の多様な在り様、様々な可能性を見せてくれることで、人間の自由を拓く場と成り得るのではないか。そう考えれば、敢えて劇場の外で行われる演劇WSは、人間の自由を切り開く開拓の最前線とも言えるのかもしれない。
記録:中村美帆(東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻博士課程)
1. 福岡との関わり
世田谷パブリックシアターと年間契約し、劇場や学校で年60回程WSをやっている。世田谷パブリックシアターからの依頼で、福岡市文化芸術振興財団とのプロジェクトには2004年から3年計画で関わった。

福岡市文化芸術振興財団は当時、「WSをできる人は地域にいないかもしれない」と認識していた。だから他地域から人を呼んで、WSに興味がある人を地域で探し、実際に子どもたちとWSをやりながら、最終的には地元の人材でWSをやれる体制を作ろうという目標を持っていた。私に期待されていたのは、地元の人達と一緒に子どもたちとWSを行うこと。活動を行う中で、地元の人だけでWSが行えるようになってもらうこと。現在も福岡のプロジェクトは継続されていて、私は福岡には行っていないので、それは達成できたと言えると思う。実際に福岡のプログラムに応募してきたのは約60名で、ほぼ100%が演劇関係者だった。そのうち現在でもWSを続けているのは5名、うち3名は福岡以外で取り組んでいる。その5名は受講当時20代後半から30代で、演劇でできる仕事を求めていた。自分が持っている演劇の経験を生かしてできる仕事としてWS に興味を持ったのだと思う。
2. 福岡でやったこと−広場を作る−
世田谷パブリックシアターの入り口には「劇場は広場である」と書かれたプレートがある。福岡市文化芸術振興財団は劇場を持っていない。だから僕は広場を作りに行ったのだと思う。広場があれば劇場になるからだ。

広場とは何か。広場=広い場、では広い場では「何が」広いのか。自分なりに考えた結果、参加のありようが広いのではないかと思うようになった。誰でも、いつでも、来てみたらいい場所で、どんな居方で居てもいいし、飽きたら帰ってもいい。そんなふうに参加のありようが広い場所が広場ではないか。そういう広場は放っておいてできるものではない。誰も使っていない公園のように、単純に空間だけはできるかもしれないけれど、それは広場とは言えない。では広場はどうやったらできるのか。そして、一応演劇をしている人だと自己認識している自分にとって、広場をつくることは演劇をすることなのだろうか。

福岡のプロジェクトは、学校その他でWSをやる場がほしいと思ったから始まっている。学校でWSをやれば、先生や学校組織やPTAにアクセスできる可能性がある。劇場側から見れば、演劇に興味を持ってくれる人が増えるというメリットもあるだろう。演劇を知ってもらうことが目的なのか、それともその先にまだ何かあるのか。
3. 福岡で具体的にやったこと−外から来る人として−
普段はこういう理念的な話をするのではなく、具体的に学校等に行ったときに何をやるかという話をしている。小学生と一緒に何をするか、その地域で演劇WSをしようとしている人たちと一緒に考える。すごく簡単にいえば人材育成だと思う。

僕は普段は小学校に行って、演劇に触れる入口として、じゃんけんや鬼ごっこ、だるまさんが転んだをやっている。僕はそれを演劇だと思ってやっているけれど、世間一般に思われている演劇の姿とはちょっと違う。僕が「今日の鬼ごっこはすごく面白い演劇だった」と言うことで、それが演劇になる。

福岡で「柏木さんはすごい観客だ」と言われたことがある。つまり、そこに演劇を見つけられる人が行けば、それは演劇になるのではないか。誰かがその場に行って、すごい発見をし続け、すごいフィードバックをし続けるという行為がなければ、その場で行われていることが演劇だと誰も思わずにそのまま終わってしまう。そこに「すごい観客」がいることで、鬼ごっこを演劇とよぶ可能性を手に入れられるようになる。それが僕のしていることだと思う。一緒にやった人たちは「じゃあこれも演劇?」「鬼ごっこが演劇なら、あっちで休んでいるのも演劇?」と言い始める。そういう発見が出てくるとすごく面白くなるのではないか。そのためには限定された狭い場ではなく、そこで起こるいろいろなことを幅広く捉えられる広い場が必要だった。

演劇をやっている人間が学校に行く意味は、学校の先生がWSを行うのとはまた別にあると思う。むしろ、学校の外から来る人が必要なのではないか。中の人だと不十分だという意味ではない。外から来る人が「ああ見える、こう見える」ということによって、中で起こっていることを補強したり相対化したりできるということだ。そうすることで、一種の「すきま」が生まれるのではないかと思う。そのすきまに「これもいいんだ」「あれもいいんだ」という可能性が入ってくる。そういうすきまを集めると広場ができる。

それは外から入っていく人間にしかできないことだと思う。一方で、中の人でないとできないこともある。中の人と外の人、2つの役割が必要だ。僕はアウトリーチしに行く外の人として福岡でのWSに関わった。

外から入る人は入り方を考える必要がある。入り方によって作られるすきまも変わってくるし、そこでできることが広がったり、逆に狭まったりする。実際の演劇WSの場では、具体的に先生たちに当事者として主体性を持って考えてもらうにはどうしたらいいか考える。先生には「こういうつもりでやります」「オーダーメイドまではいかなくてもカスタムメイドくらいのものはやりたい」「先生のクラスで題材にしたいこと、熱心に取り組んでいることは何ですか」と丁寧に伝えて、WSをやる前から先生にも同じように考えてもらうための努力をしている。
4. すきまと広場
日本人の食卓は、「ここはお父さんの席」というように、席が決まっていることがある。それが、例えば寅さんの映画では、お父さんの席に寅さんが座ってしまい、仕方がないからドミノ倒しのようにみんな席がずれていくということが起こる。外から来る人によって「すきま」が生み出され、固定化された関係や意味合いは混ぜ返され、シャッフルされる。別の見方、別の可能性が提示されるのだ。そういうことが見つけ出せると、今の自分の置かれている境遇に対しても違う発想がもてるようになるかもしれない。

人と人との関係は、固定してしまうと変化が難しい。だから寅さんのように外から来る人が関係をずらしてしまえば、視点を変えて捉えられるようになる。視点を変えようと思ったら移動するしかないが、移動するきっかけとして、すきまがあると思う。僕らが学校に行って付き合える時間はそんなに長くないから、広場を作るほどの時間はない。でもそこにすきまが作れたら、ちょっと違う空気が入って、視点を変えて考えられる可能性が生まれるのではないか。

すきまは子どもだけのものではない。今、兵庫で20年間やってきたWSを振り返るという企画を公立文化施設の職員と20年サポートしてくれている地元の人たちとやっているが、20周年を祝うのに「ケーキが要るよね」という話になった。さらに「このさいだから、みんなでケーキになればいい」「ケーキになってどうするか」「踊ってみよう」と発展し、今その企画の中でケーキのダンスの練習が一番熱が入っている。そこまでくると、すきまというより既に広場になっていると思う。20年の積み重ねの中で、そういうことができるようになった。「ケーキ」「ダンス」というすきまによって、その人たちの何かが外れたのだと思う。
5. 世田谷と福岡
世田谷のやり方が広がるのはいいと思っているけれど、世田谷のやり方でなければいけないとは思っていない。

福岡の事例は、福岡で自給自足するために世田谷から稲の栽培を習うというものだったと思う。たまたま世田谷パブリックシアターの学校での実践が先にあって、それが割と知られていて、たまたま僕のように世田谷の外に行ってもいいと言う人がいた。その偶然の積み重ねで世田谷から福岡に、という話になっている。世田谷がやってきたことはいろんな要望に比較的多角的に応えやすい方法だから、他の地域でもやったらいいと思うし、そのために僕を呼んでほしいとも思う。外からできることと中でできることはそれぞれあるし、寅さんみたいな人がいた方が風通しがいいのは間違いない。それをお互いにやり合うのもいいかもしれない。

例えば世田谷区に杉並区から新しい稲の育て方が入ってくるようなことがあってもいい。比較検討できるし、その結果新しい育て方のほうが根付いたとしてもそれで世田谷が負けたことにはならない。僕は世田谷のやり方はいいと思っているからがんばるけれど、でもそれで世田谷が勝ったことにもならないと思う。

世田谷パブリックシアターとしては、演劇WSについて、同じように考えて悩みを共有して解決できる仲間を増やしたいと思っているだろう。そういう仲間が、例えば1,000人に増えたら、1人で考えているときより状況が変わるのではないか。
6. 演劇について
演劇の入口が鬼ごっこやだるまさんが転んだだったとして、すごく遠くの出口の1つには、世田谷パブリックシアターで上演しているような演劇もあると思う。ただそれは分岐していくたくさんの出口の1つでしかない。それ以外の出口には、お母さんの鼻歌や、渋滞しているときの後部座席での会話や、深夜のファミレスでのウジウジした時間、いろんなものがある気がする。

僕が広場で演劇としてやっていることは、人と人とが出会うための方法の提示ではないかと考えている。演劇をやってみせてくれる、その行為の時点で絵空事、フィクションだと思う。本当のことを言っても、絵空事のように見える。その中で何かを面白がることを武器にして、いろんなところに入っていき、いろんな人と出会ったり別れたりしている。そうやって人と人とが出会う方法を提示するのだとしたら、それがお母さんの鼻歌や深夜のファミレスにつながっていてもそんなにおかしくはない。それだと広すぎると思われるかもしれないけど、1回広げて考えてみることの意義を、世田谷パブリックシアターという劇場と関わってきて、僕自身がとても考えさせられた。

個人と個人が、喜怒哀楽いろんな感情があって、盗んだり騙したりということもある中で、一緒にいられる状態をどうやって作るか、ということを考えている。盗んだり騙したりを否定することはできるけれど、全部否定してしまったらそれは演劇がすごくやりにくい世の中だと思う。いろんなものがある中で、人と人が出会って、一緒に何かやろう、と言うためにはどうしたらいいか考えている。

最近「演劇」という言葉を使わない方がわかりやすいのかな、と思うことはある。でも、わかりやすくなったほうがいいのか、というと、そうでもないと思う面もある。「それは演劇だ」と言う人がいなければ、それは演劇としてはなかったことになる。だからこそ、そこに行ってあえて演劇に見えないことを演劇だと言うことで、消えてしまうかもしれない可能性を、そこには確かにそこの演劇が在ったのだ、ということにしたいと思う。