講座の内容記録 2010

創造の現場
『世田谷パブリックシアターの演劇ワークショップ』
B:世田谷パブリックシアターの演劇ワークショップ事例紹介
「小学校・学芸会でチャレンジしていること」
 
2010年11月30日(火) 19時〜21時
富永 圭一
(世田谷パブリックシアターファシリテーター/abofa代表)

《所 感》

ファシリテーター、劇場、子どもたち、先生、学校、保護者、行政。学校でのワークショップに関わる様々な立場の人々全員が満足するワークショップを実現させることは可能であろうか。本レクチャーは、このような問題意識のもと、今までの世田谷パブリックシアターの地域の小学校での活動を振り返りながら、劇場と学校との関わりについて、学芸会という活動を切り口に、参加者と共に考えていくというものであった。本レクチャーを通して、多様な価値観の集合体である学校という場において、苦悩しながらも、そこに劇場としての役割を見い出そうとするファシリテーターの思いを感じることができた。おそらく、この問題に対する絶対的な解答は存在しない。その曖昧さはファシリテーターを悩ませるが、一方で劇場の学校における重要な役割が存在している可能性があることを示しているようにも思われる。今後、教育の世界では、さらに子どもたちと劇場との関わりを考える必要性が生じるであろう。その際のヒントになることが、本レクチャーでのディスカッションの中にあるように感じられた。
記録:園部友里恵(東京大学大学院教育学研究科修士課程在学)
※本記録は、講座の記録をもとに、講師による加筆を加えて掲載しています
1. 本レクチャーの進め方
本レクチャーのコンセプトは、「メールで送れない情報を話すこと」。つまり、文字情報にならないところを話すことである。したがって、机を取り払い、円に椅子を並べ、あえてメモを取りにくい状態でレクチャーを行うこととした。円になるということは、ワークショップ(以下WS)でよく用いられる手法である。ファシリテーターと参加者、あるいは参加者同士がお互いの顔を見ながら活動できることが円になる利点である。また、本レクチャーは、いわゆる「レクチャーっぽい話し方」ではなく、できる限りフラットに、普段の雰囲気のまま話を進めていきたい。というのは、劇場側とファシリテーターが普段どのような言葉を用いて、どのようなやり取りを行っているのかということもワークショップ活動の1 つの事例として考えているためである。
2. ファシリテーターとしての経歴
1989年、世田谷パブリックシアターが開館する前にプレWSが行われた。このWSは、約10人の俳優が10日間のWSを通して演劇作品を創作し、世田谷美術館で発表するというものであった。当時一般参加者として関わったが、次第にそれを手伝うようになり、現在はファシリテーターとして活動している。
3. 小学校でのワークショップと学芸会
世田谷パブリックシアターでは、ある世田谷区内の小学校の「読書タイム」でのWSを依頼されたのをきっかけに、学芸会に関わり始めた。現在では、毎年4月に世田谷区内の各学校にパンフレットを配布し、学芸会の依頼を受けている。世田谷パブリックシアター・学芸担当の中村によれば、学芸会で何をやればいいかよくわからない、あるいは、脚本は決まっているがどうすればおもしろくなるのかわからないという悩みをもった担任の先生から依頼が来るという。そして、学校に出向き、先生から学芸会の目的や状況等を地道に聞いていくことから学校との関わりが始まる。世田谷パブリックシアターは依頼される側であるため、学校の主体性を大切にし、「子どもにとって良い場を一緒に作りましょう」というスタンスを大切にしている。

小学校でのWSで実際にやっているゲームはコミュニケーションに関わるものが多い。例えば、円になり、隣の人と目を合わせ手を1回叩くという動作を1人ずつ順にまわしていく「拍手まわし」というゲームがあるが、このゲームにはその後スムーズに参加者同士が知り合うことができるという効果がある。というのは、拍手を回す際、皆がその人に注目しているためである。(このゲームは実際に本レクチャーでも体験する機会が設けられた。)

小学校におけるWSをいかに評価するかということは非常に難しい問題となっている。約6年前、ある小学校の2年生の学芸会に関わった。その過程で行った、身体を使って表現する活動は子どもたちにとっておもしろく、楽しいものであった。しかし、その学芸会を視察に来た人々からは、「わかりにくい」という感想を言われた。つまり、WSに参加している子どもたちは楽しいが、その楽しさは伝わりにくいことが多々ある。
4. 小学校との関わり―現状把握と大切にしていきたいこと
劇場から「アウェイ」な場所として小学校に出向いたとき、まず意識して行うのが、子どもたちとコミュニケーションをうまくとることである。この「アウェイ」感を取り除いていくのが最も大変なことである。例えば、劇場で行われるWSの場合、参加者は自ら劇場に出向き、「一歩踏み込んでやってみよう」と考えている人である。しかし、小学校には演劇やWSに対して非常にネガティブな印象をもっている子どもがいる場合もある。子どもたちに「劇場から来た」と言うと、「何をやらされるんだろう」と警戒されることもあるが、それはファシリテーターにとって大きな壁である。実際に子どもたちと関わり感じたことは、子どもたちが演劇を創るときにテレビに大きく影響されているということであった。その原因は、子どもたちが普段から劇場に行き演劇を観るという経験をしていないことにある。劇場に関わる人間として、将来的には、世田谷区の子どもたちが世田谷パブリックシアターの演劇を頻繁に観に来てくれるようになることを望んでいる。

次に意識するのは、先生との関わりである。子どもたちの活動に一緒に参加する先生もいれば、全く見ずに職員室に行ってしまう先生もおり、先生の活動への関わり方や演劇に対する考え方も様々である。学芸会を行う場合に先生にありがちなのは、大きな声を出すこと、1人1言セリフを与えること、舞台上の立ち位置を重ならないようにすること等を重視する考え方である。これらを重視しすぎるとつまらないし、覚えることが多く、間違えたことを皆の前で怒られると、子どもたちにマイナスの印象を与えてしまう。子どもたちが学芸会を「嫌なもの」と捉えないようにするためにも、先生とのコミュニケーションを上手くとることは重要であり、演劇の専門家として先生をサポートできれば、より良い学芸会をつくれるのではないかと考えている。

また、保護者との関わりも非常に難しい問題である。以前、ある学校の学芸会に関わったとき、木こりが木を切るシーンを子どもたちが身体を使って演じる場面があった。この場面に対して、当時インフルエンザが流行っていたこともあり、木の役の子どもが床に倒れることの衛生的問題、また、間接的にではあるが「人が人を切る」という行為について指摘する保護者がいた。この保護者の意見が学校に通り、我々のいないところで、その場面の演出を変更するに至った。この出来事に関して、子どもたちの視点から捉えると、皆で楽しく創っていた作品が1人の大人の意見でやりにくいことに変わってしまったということになる。その際、ファシリテーター側はどのように対応すれば良いのか。学校におけるファシリテーターの立ち位置の難しさを感じた出来事であった。保護者からこのような指摘が来るのは、保護者がWSや稽古という創作の過程を見ず、作品という結果のみを見ていることに1つの原因があるように思われる。我々と保護者が直接関わる機会は少なく、そのために保護者の思いは把握できていないというのが現状である。ある小学校では、保護者と子どもと先生で「連絡ノート」をつくり、そこに子どもたちが活動の楽しさを書いてくれていた。このように、我々が行ってきた活動の過程が示せれば、保護者の考えも変わってくるのかもしれない。

以上のような現状の中、今後どのようにしていけばいいのか悩んでいる。そこで、本レクチャーでは、以下の7点の中でどれを最も重視するか、これらのバランスをどのようにすればいいかということについて、レクチャー参加者と共に考えていった。これについて考えていくことは、前述のWS の評価の問題とも関わっている。
①ファシリテーターがやりたいことを伝える
②劇場側の理念
③子ども重視
④先生の指針
⑤学校の方針
⑥保護者が良いと思うこと
⑦教育委員会の指針に従うべき
この7点のバランスを取るのは非常に難しく、刻一刻と変化すると言っても過言ではない。そして、一つ一つ大きな壁になっている。当然、誰もが「子ども第一」というであろう。しかし、長く学校と関わるということは、そこだけで留まるということで解決はしていかない。一つ一つが本当に大きな壁として存在している。しかし、劇場は、微力なファシリテーターに失敗の場を与えてくれている。これは、大きなサポートとなっている。そのため、我々は当初、子どものことだけを考えてWSを進行できた。演劇の楽しさを伝えることだけに集中できた。子どもたちが演劇を創る楽しさ、観る楽しさを感じ、演劇を好きになってほしい。その思いだけでWSができた。しかし、ある時、逆の可能性にも気が付いた。つまり、我々は、子どもたちが演劇を嫌いになってしまうかもしれない責任も同時に負っているのである。これは、大きな責任である。