『地域社会と芸術』
Vol.1 「創造性と他者との関係性」
2009年10月20日(火) 19時〜21時
田野 智子
(NPOハート・アート・おかやま代表理事、アートリンクセンター岡山代表)
《概 要》
ハート・アート・おかやまの活動もその中のアートリンク・プロジェクトも、サイトスペシフィックな
個人同士が向き合うことから始まっている。障害のある人もない人も、子どもも大人もアーティストも、
個であることに還って個人と個人でじっくり向き合うと、あるがままなだけで結構面白いところが
わかって楽しくなってくる。そうやって他者と丁寧に付き合うところから、クリエイションが生まれる。
お互いを認め合うつながりも生まれてきて、さらに楽しくなってくる。
あるがままのうちに全ての人が芸術家たりうる。それは決して容易ではないかもしれないけれど、
とても楽しいことだ。そうやって一人ひとりが生き生きすれば、普段の何気ない日常がゆるやかに
置き換えられていって、結果として社会が変わっていく。
記録:中村美帆(東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻博士課程)
はじめに
「アートを「世界観の拡大」と捉えると、アーティストは「概念を作る人」といえ、一方障害のある人は、
生まれながらに我々を揺さぶる「概念」を持っている。常に新たな価値の創造を行うアートの現場が、
広く地域社会と繋がることで、障害のある人や高齢者、子どもなど自由な表現を行う人を含めた地域の
エンパワーメントが図られる。その価値の提案、普及活動こそが企画者及びアーティストの役割である。
障害の有無や年齢や分野を超えた人々のそれぞれの真摯な日常をテーマに、彼らの密接な交流から
生まれる新しい価値を、地域ごとの特色ある伝承文化との比較から見出そうと、さまざまなプロジェクトを
展開している。(世田谷パブリックシアターウェブサイト掲載の講座案内文より)」
法人化したのは最近だが、活動自体はもう10年になる。今日は、NPO法人ハート・アート・おかやまの活動と
アートリンク・プロジェクトを通して、日頃の活動について、やっていることを中心に気づきを織り交ぜつつ話したい。
まず、ハート・アート・おかやま
元小学校教員として、「学校には障害のあるなし含めていろんな子がいるけれど、
社会に出てどうなるかが想像できない」と感じていた。障害を持った人は、面白い要素を
持ったまま大人になっているケースが多い。しかしクリエイションとしては面白いけれど、
活動の場が施設内部に限られていたり、コミュニケーションがうまくいかず職場の困ったちゃんに
なってしまったりもしている。そういう人たちともっと面白くアートを通して付き合っていければ、
と思ったのがきっかけだ。混じり合う場があればコミュニケーションも培われる。
混じり合う場を作り出すためにいろんな場所でワークショップを実施した。受け入れて
もらいやすかったのは教会、お寺、銀行…公共の場に近いところだ。ワークショップを
やっているうちに、アーティストがもっと継続的に関わりたいと言い出した。継続的に集まれる場が
必要になり、商店街の一角の2階を借りることになった。そこをギャラリーにしたり遊び場にしたり
バーにしたり…関わっている人がつぶやいたことを実行できるような、フラットな関わり方が
できる場を目指している。
そして、アートリンク
ワークショップだとどうしても短日になる。もっと日常とあるがままにつきあいたいと思うように
なった。あるがままに受け入れる、それを実態を伴うかたちを持ってやってみたい。そう思って
いたときに、「アートリンク」という活動に出会う。アメリカのクリエイティブクレイというNPOを
岡山で受け入れした時に、彼らのアートリンク活動をみたのがきっかけだ。
日本で障害を持った人のアート活動が注目されるようになった契機として、1990年代にトヨタと
たんぽぽの家の活動を通じて「エイブルアート」という概念が登場したことが大きい。それまでにも、
近江学園や「みずのき」など、障害のある人とアートの関わりの歴史はあったが、作者と鑑賞者と
いう関係で完結していた。そこで終わってしまうのではなく、彼らの創造性を社会に還元していくと
いうスタンスがエイブルアートにはある。
アメリカでは、移民や言葉が分からなかったり障害があったりする人向け、つまりマイノリティ向けの
アートセンターの例が多い。アートリンクの活動もそこから始まっている。
岡山でのアートリンク・プロジェクトの進め方は以下のようになる。まず、社会に受け入れにくい
部分を持った人と岡山で活動するアーティストでペアを作る。そのペアで半年くらい時間をかけて
付き合ってもらい、その関係性で生まれてきたものをかたちにして展示する。会期は1週間程度で、
会期中には顔の見える関係をめざしてギャラリートークも実施する。
以下、作品をいくつか紹介することで活動の様子を伝えたい。
<作品:水川博樹&横谷優子『Back To The Past』(過去戻り)>
水川君はこだわりのある話を何度も繰り返し語る。アーティストもエッチングという手段への
こだわりがある。それぞれの増殖というこだわりを持ち寄り、原画を水川君が、摺りを主に横谷さんが
担当し、繰り返しの意味を問うような作品を展示した。
<作品:伊丹宏太郎&デビット・ウィリアムス『Common Thread ふたりのつむぎ糸』>
フロリダのアートリンクとの国際交流・つながりから生まれたペア。スカイプを活用し、
作品を送り合い半年間やりとりした後、展示の2週間前に来日して作り込んだ。ウィリアムさんが
勤める新聞社に送られてくる封筒に絵を描きあって制作した作品。
<作品:成田竜樹&丹正和臣『野菜人 YASAIBITO』>
昆虫が好きで家からの外出が嫌いな成田君をスーパーの買い出しに連れ出す。そこで買った
野菜をこんな風に食べた、というやりとりを繰り返し、その過程を昆虫標本風に展示する。
成田君がアートリンクを経て外に出られるようになったか…というとそう簡単にはなかなか変われないけれど、
もともと「家族」をテーマにしていたアーティストと、このときは外に出られたという
成田くんの軌跡が一つの額の中でわかる作品。
<作品:茅野恵理&湯月洋志『えりミュージアム2008』>
恵理ちゃんはスケジュールを厳密に守る。毎日必ず同じ時間にお気に入りのTVを見ながら、
庭の片隅に切り花をつきさしていく行為を繰り返す。切り花を地面に突き刺すのは、花瓶の中の
立ち枯れを見るのがいやだからだ。アーティストの湯月さんは、恵理ちゃんとの関わり方を考え抜いた
揚句、ありのままの恵理ちゃんを見てもらうために自宅を開放するパーティーを企画した。そして、
その映像と地面に突き刺された切り花をインスタレーションにして展示した。そこでは、恵理ちゃんの
生きている世界、恵理ちゃんの世界観がそのまま表現されている。
<作品:片山雄司&森美樹『コップを吹く』>
片山君のつぶやきをガラス作家の森さんが日ごろから使っているガラスで表現した。これまで
絶叫ロックしてばかりだった片山君は、ライブしかできないと思われていた。その片山君が実は
こんなことをやりたい、といったつぶやきや気泡が閉じ込められたようなコップをつくり、
来場者と茶室で対話するような参加型展示とした。
<作品:妹尾智矢・裕矢&真部剛一『BAR「おもてなし」』>
妹尾君たちは自閉症を持つ双子で、とてもそっくり。二人の個性の違いが出る場面はないだろうかと
考えた真部さんは、バーチャルなバーを作り、それぞれの個性を際立たせることを思いついた。
展示場で観客がスクリーンの前に座ると、バーのセットで撮影した双子の映像が映し出される。
スクリーン越しに双子との会話が始まり、スクリーンの向こうでお茶を入れてくれる。お茶を入れる
検定を受けている彼らは、人をもてなすのはとてもうまい。
<作品:長谷川海&岡本永『海次元空間に向き合う』>
長谷川くんはサービス精神旺盛なエンターテイナーで、とりとめなく何でもやってしまう。
だから逆にアーティストは困惑して、その困惑をそのまま出せないかと考えた。
困惑したらどうする? → 瞑想する → その瞑想空間を作った作品。
<作品:竹本ひかり&赤田晃一『たかしの一日』(お仕事編&お休み編)>
竹本さんは、登校したくない朝や出かけて疲れて帰ってきた日は、ずっとトイレに籠って声色を
変えて呟き続ける。そこでどんな話をしているのか聞いてみよう!と思い、こっそり録音し、文字に起こした
ものを脚本家に渡してみた。脚本家が面白がってステージにかけてみたら、そのステージを見た竹本さんが
エスカレートして即興でお話を作った。そのお話とサックス即興プレイヤーの赤田さんのコラボレーション作品。
アートリンクの展示は、これまではギャラリーや岡山の公共ホール等で行ってきた。2009年、
展示会場に瀬戸内海の有人島を選んでやってみた。
瀬戸内海の島々はどこも疲弊し少子高齢化が進んでいる。ケアハウスもデイセンターも本州に
行かないとなく、生まれるのも亡くなるのも全部本州になる。そんな島で、船をチャーターして
遠足的ワークショップと展示を実施した。それまでにも別途10年かけて島でワークショップを展開し、
関係ができていたのが素地となった。今回会場にした白石島と真鍋島は、それぞれ人口が600人強、
200人強。小学校と中学校はあるけど高校はない。小学校でも白石島で24人、真鍋島で5人の児童しかいない。
島の仕事は水産業か、役所勤めくらい。あとは定年退職して島に戻ってきた人が多い。
白石島は、今は岡山県だがかつては広島・福山藩の水野公の所領だった。そこでは干拓が奨励されて綿を
植えていた。綿を紡ぎ織れることが一人前の女の条件だった。そうした歴史から、綿の復興事業の一環で、
古民具の展示に知恵を貸してほしいと言われたことがあり、そのときに島民にちょっと声を掛けただけで
家に眠るいろんなものがでてきて、それがきっかけになって島の人たちがとても元気になった。そうした
経緯から、今年は思い切って島で展示をしてみた。
人と人との関係性をうたったプロジェクトだけれど、真夏の島にでてきたらどうなるか、どきどきしていた。
アーティストだけでなく子どもたちの受け入れもする島の人も、どきどきしていた。でも何回か遊びに
行っているうちに、島の人たちも子どもの特技がわかってきた。島の子どもは一番敏感で、面白いことを
やっている人にはついていく。
なかなか家から出なかった恵理ちゃんが「夏になったらいくね」と自分から言い出した。そして島に
着いたら「ハイビスカスはどっち?」と尋ねた。そこでアーティストは、恵理ちゃんが南の島のイメージで
描いた絵の通りに、ハイビスカスとソテツの葉っぱを使い、畑の中に南国を再現した。ちょうど季節もの
だった島のいちじくでパフェも作って食べた。「この人が障害者で、この人がアーティストで、だからつくった」と
いうギャラリートークはなく、普通に遊びに来る空間がぽこっとできた感じだった。
そんな風にして、私たちスタッフも2か月、アパートを借りて滞在した。工作好きの男の子にペアのアーティストの
丹正さんが工作小屋を用意した。すると島の人が好意で「引っ越し流しそうめん」を用意してくれて、おばちゃんたちが
喜んで素麺や野菜を提供してくれ、自然に顔がほころぶ。そしてみんなで食べた後は来た人同士でみんな自然に遊べる。
ふとみたら、工作で作った手押し車に乗って順番に遊んでいる。島のおばちゃんが「だれが障害のある子?」と
わざわざ聞いてくるくらい、自然な光景だった。
きっと昔はどこにでもあった風景なのではないか。障害があるから施設に行かせるなどとカテゴライズしてしまうので
はなく、あの人はこういう面白いところがあるからと、地域であるがままに受け入れる風景そのものが作品になった。
<作品:村木みのり+岡田毅志『固有時空』>
地域資源である空家を取り壊し前に活用した展示。アーティスト岡田さんと組んだのは、14日間
起き続けて14日間ずっと寝ているような女の子。彼女に会うたびに自分の固有の時間はなんだろうと
考えさせられたアーティストは、家ごと全部砂時計にしたいと言い出した。天井裏に穴をあけて、そこから上に
あげた浜辺の砂が落ちてくる。落ちてきた砂は畳を上げた床の節穴を通過して、床下にも落ちていく。
一か月のうち、いわば「陰」の時間の展示がここで行われた。「陽」の時間については、真夏の日差しの
浜辺で展示された。
島にはまだ屋号が残っていて、この空き家の屋号は「床光(とこみつ)」。かつて床屋で、ご主人は
重要無形文化財になっている白石踊りがうまかった。みんな踊りを習いたくてその床屋に通ったという。
そんな家だから、戸を開けたらいろんなおばあちゃんがやってきては、思い出を語って帰っていく。
そこにおばあちゃんたちの固有時空もあった。
<作品:延谷大和+真部剛一『ドラマティック・マイクロワールド』>
レゴブロックにしか興味を示さないミクロの視点をもつ男の子と空間アーティストの作品。細部の
観察眼に優れた男の子の特性を真鍋島の中で展示する自分の喜びとつなげたいマクロの視点の
アーティストのアイディアで、ろうそくで型をとって作ったレゴブロックで男の子が制作。
この作品で用いられた「ろうそく」は、生産的ではないけれど祈りの時間を一緒に体感できるもの。
会場になったのは、法事等でしか使われなかった特別な家。今回の展示で風が通って、NPOの運営する
旅館に場所を提供するアイディアをはじめとする新しい可能性が出てきた。
佐藤学の『身体のダイアローグ』では「経済優位の中で生まれた格差は、学びと祈りとケアで回復される」と
述べられている。そういうことをやりたくて島で活動してきている。島には後期高齢者が多いのに、
しゃんとした、背筋が伸びるような生き方をしている人が多い。歴史の重みをケセラセラと笑いながら
生きている人が多いのだ。
<作品:水川博貴+田島史朗『beyond the sea』>
今回、水川君に「何がやりたい?」と尋ねると「船長になりたい」という。そこでアーティストが
「一緒に船長試験の勉強をするか」という話になった。実技は無理でも4択の筆記試験はいけるかもしれない。
がんばって勉強して、かなりいい線までいった。
そうした過程を経たうえで、作品としては、二人が船で島に渡る道中のドキュメントを撮影した。地元の
おじちゃんが船頭役を引き受けてくれた。船舶法では免許保有者が同乗していれば、免許のない人間が
運転してもいいことになっている。船頭のおじちゃんのサポートで水川君が運転して展示初日に島に渡った。
こんな風に今年の展示は、アートとはおよそ無縁に思われた人たちが盛り上げて作り上げた。そして
来場者は、1泊2日、2泊3日と島の幸を味わいつつアートキャンプを楽しんだ。夜はキャンプファイアーや
島論会(シマポジウム)を開催したりした。アートプログラムを実践している京都造形芸術大学、徳島の
神山の活動、富山県の八尾スローアートなどと比較しつつ、島のインフラを活用して何かやりたい、島の人と
つながる学びのプログラムをこれから作っていくという議論で盛り上がった。アサヒビールの加藤種男さんの
言葉を借りれば、「水路特定財源のほうが日本の文化は良くなる」!という趣旨だった。
旅館の一室を展示会場に提供したご主人が、「自分がよそにきたみたい」と言ってくれた。
アートこそが場所を創出する力があると感じた。
ふたたび、ハート・アート・おかやま
岡山県には小学校が合計430校ある。その全校に調査票を送り、約130校から回答を得たアンケート調査に
よると、県中心部の子どもたちは生の芸術に触れる機会があるが、全体の7割を占める山間部では小規模の
学校が多く、そういう機会をほとんど持てないでいる。一方で、そうした過疎に対する危機感を感じている
学校こそ、食育や地域の伝統文化など地域のつながりを大事にしている。そんな学校に現代美術の
アーティストを派遣する活動も行っている。
<事例:牛窓西小学校×甲斐賢治「見るってことを考えてた」>
日本のエーゲ海といわれる風光明媚な地域で、小豆島、犬島を見下ろせる。近年では名産の農業も衰退したが、
人がうらやむような地域に育ったことを小学生のうちにわかってほしいと感じ、アーティストとメディアを
通して自分の育った風景を考えるワークショップを実施した。
<事例:桜が丘小学校×小島剛「アキビンオオケストラプロジェクト」>
空き瓶を吹きながら学校に行く。最終日には地域の人も参加して演奏発表。楽器演奏の即興の楽しさとつながりを感じる。
その他に、地域の高齢者や障害のある人や子どもたちを「地域の伝統の味を残していく人」「新しい美を開発する人」と
いうアートイニシアチブの視点で集めて、「芸術と食の地産地賞」という活動も行っている。
<事例:モモピクルス&粕漬け>
岡山名産の白桃は、大きい実をつけさせるために実の間引きが必要になる。そうして間引かれた幼果桃を
ピクルスと粕漬けにしてみた。
鶴見俊輔が「クリエイティブなものは残滓から生まれる」と述べている。これまで規格に合うものだけが
効率よしとして経済の中心に据えられてきたけれど、規格に合うものと合わないものがあり、そこから
こぼれおちる残滓から新しいもの面白いものが生まれる。
山ほど落ちている「まびきもも」を拾うことに喜びを感じる自閉症の子がいる。拾うのが好きな人を
集めてじゃんじゃん拾ってもらい、塩漬けにして酒粕(これも多すぎると産業廃棄物として処分
されていた)と合わせる。そうやって作ったモモピクルス&粕漬けを販売する。もしかすると
新しい仕事が生まれるのではないかという期待もある。
アートは世の中にあってもなくてもいいかもしれないけれど、新しい価値を提案してくれるアーティストは必要。
その意味で、モモピクルスもアートにみえてくる。
あってもなくてもいいけど、それも含めてみんなちがっていい。だから地元でとれたものを
地元で愛でる地産地賞の活動をやっている。収穫され残して熟れすぎたいちごや間引きたけのこも、
そういうのをひたすら採るのが好きな人で集まって、みんなで収穫する。そして、どんな料理に
したかを報告しあう。
1人1人があるがままを受け入れる。その人がその人なりに輝く現場をエッセンスととらえて、それを
アーティストをはじめとする人たちでつないでいけば、新しい価値として地域に生まれていくのではないか。
日常を変えるのではなく捉えなおすことがしたい。個人が生き生きと生きることで社会が変わっていく。
一人ひとりのむずむず感をつないでダイナミズムのあるアートに変えていけたら、きっと面白い。
最後に:1人1人の存在がサイトスペシフィックな表現!
真鍋島にすむ真鍋さんというおじいちゃんは、全国のマナベさんが集う「まなべ会」の名誉会長である。
藤原のころに流された人がルーツらしい真鍋さんは書道が好きで、良寛さんの字を真似た写経に勤しんでいる。
そんな真鍋さんをヒントにして、現代に良寛さんがいたら?というアーティスト真部剛一さんの想像の下で、
良寛さんにコスプレして写真をとって飾ってみたのが2年前の作品にある。
島で展示したのだが、たいてい島のじいちゃんばあちゃんは、作品にはほとんど興味を示さない。一方、
地域の歴史、自分の文化の文脈をとうとうと語る人が多い。撮り溜めた写真を見せてくれたり、歴史の仮説を
披露してくれたりする。聞いてもらいたい、みてもらいたい、表現したい人が島にはたくさんいる。これは
今つないでおかないとやばい!と思った。
島は決して孤立して存在しているのではなく、歴史を振り返れば北前船のつながりがあった。北前船は陸地に
沿って島々を転々と渡り、それが文化の伝達になっていった。島にはいきいきと、まるでみてきたように
歴史を語る人が多い。源平合戦談義をはじめ、そういう人の話を面と向かって聞くことがそういう人を生き生き
させることにつながる。一遍上人の踊念仏が原点になった白石踊りは、一度廃れていたが復活させて現在12種類
残っている。それを今でもじいちゃんたちは子どもに教え、お盆の時期には7時から夜中まで踊っている。
読経が鳴り響く中、浜辺で灯篭流しが行われたりもする。
白石島、笠岡諸島は、外からは疲弊して新しい文化がおこりそうもない場所に見える。でもそこに行くと
得るものがたくさんあって、名前を固有名詞で呼び合い、ホスピタリティを感じる。1人1人と向き合う
可能性が島にあると感じる。
いろんな表現がそのまま相手の存在だとしたら、サイトスぺシフィックという現代アートの手法はどこの
土地でもできる。私たちの活動では他者の存在そのものがサイトスぺシフィックであり、相手の人の存在を
通して自分たちを見つめ直している。
質疑応答
Q1: マイノリティとアートを結び付ける発想の原点は?
Q2: 障害のある人が持っている我々を揺さぶるような概念とは?
私たちは与えられた既成概念の中で、知らず知らずのうちに落ち着いてしまいがちである。一方で、
ここでは我慢するとか、ここでは許されるという判断をして行動してしまう。それを飛び越えて、
卓越したことをやっちゃうような束縛と自由の関係をのりこえる可能性を、障害を持つ子が提示している。
一方のアーティストは新しい概念を作るのが仕事だから、障害のある子は宝の山をもってやってきたように映る。
表現できずにもやもやと宝物を抱えている障害のある子と、世の中に何かを表現したいと思っている
アーティストが出会うことの面白さを大切にしている。活動の場所や展示の空間も1か所に
押し込めるのではなく、やりたいことをやりたいところでどんどん展開していけるのは、彼らの後押しがあるからだ。
東京からキャンプに来た大学生が、同室になった障害のある子への対話をどうしようとびくびく
したいたが、慣れてきて「何だ普通じゃん」と思ったら話せるようになったと言っていた。
そう思ったらもっと相手のことを知りたくなって、「これできる?」と一緒に柔軟体操してみたりした。
現場に行ってみないと新しい関係を作れる自分も発見できない。
Q3: アーティストと子どもたちの半年の作業のうち困ったこととかは?
人と人が出会うから当然その関係が壊れることもある。
失敗させたくないとか、日ごろの落書きのような面白い絵ではなくそれを克服した「いい絵」を
描いてほしいというお母さんがアーティストと障害のある子の間に入ったことがきっかけで、
関係が壊れてしまったこともあった。でも2年ほど経って、そのお母さんが展示を見に来てくれたりもした。
相手のあるがままを受け入れることがなかなかできなかったアーティストもいた。まだ若い
アーティストがつい「おんなじことばっかりいわないで!」と言ってしまい、アーティスト
自身深く後悔していたら、翌日「もうおんなじことは言いません」と何度も書いた手紙を
もらって笑ってしまったこともあった。
Q4: アーティストと組むのは若い子が多い?
一番若い子は小学校2年、上は87、8のおじいちゃん。子どもにとって半年は長いが、
じいちゃんにとって半年は短かったりする。
Q5: お金のやりくりは?
いくらあってもいくらでも使う(笑)。岡山市は開かれた「芸術祭実行委員会」を通して
芸術文化助成をしている。また、これまで日本財団などの福祉系の助成や、企業メセナの文化系、
地域づくり系の助成を利用している。「これは新しい価値創造、新しい福祉につながる」と
言いながら一生懸命もらっている。あとは会費と、ピクルスやアートリンクで開発した商品と
いった新しい仕事の創造による収入。
イマジネーションしたことがクリエイションになって仕事になれば、島=笠岡市との新たなつながりも
できる。そんな感じで綱渡りだけど渡り歩いてやっている。
Q6: 小さな社会で異質性を指摘され嫌な思いをした時の解決策は?
数年前、キャンプでライブの開催案内を島内放送を好意で流してくれたことがあった。そうしたらちょっと髪を
染めた中学生がやってきて、「ライブというからエグザイルみたいなカッコイイ人が来るのかと思った」と
がっかりして、「帰れ」コールをされた。へこんだのは親や関係者、アーティストで、一方、当の子どもらは
気にせず踊り続けていた。本人はへこまない。いたって平気に楽しんでいた。それに元気づけられた気がした。
それから、食後の薬を飲むのにどうしてもカルピスと水を必要とする子がいた。旅館の人も慣れたもので、
その人には個別に出してくれた。最初は周りもびっくりしていたけど、慣れれば別に気にならない。
Q7: 今後は?
新しい仕事、新しい職場を創造できたらいいと思う。そうしたら就職がないとか、
職場があわないとか、めげなくて済む。島の中で、「その人だったらお願いしたい」と
思える、顔が見える仕事ができればいい。
アートリンクセンターという岡山の町中拠点は、今後いろんな人の可能性が引き出せる
サロンにしていきたい。一方、総社市の古民家「池上秦川邸」では、木息の鍛冶屋の
おじちゃんや和算ができるおじちゃん、ちょっと変わった人ちょっと変な人と敬遠しがちだった人、
いろんな人を呼んできて、何かおもしろいことができればと思っている。
そこで食事もできるように手始めに台所から改築工事をする。アートリンクがプロジェクトだけで
終わってめでたしではなく、そこで何かを感じ、新しい価値の予感を知ってしまった人に活動の場を
提供したい。地域の過去を知り、未来を空想していける背筋の伸びるような空間にしていけたらと思う。
Q8: 出会いのコツは?
最初は募集をかけたが、募集に応じてくる人はもともと絵が描けたりするけど、アーティストには
響かない。なんでこんなところ?というのに注目するのがアーティストだからだ。
本人よりもお母さんが、アートリンクに向く向かないで一喜一憂したりしている。だからその
ケアとして、アートリンクには向かないけど個展の支援を行ったりしている。
お母さんたちもいろんなキャリアの人がいるから、アートリンクについては自分の口で
発信してください、といっている。「担任を連れて来られないから学年主任を連れてきたわ」とか、
「うちは金がないからじいちゃんを法人会員に誘ったわ」とか、「つくった作品集について
ダウン症協会や自閉症協会で報告したり」とか「全国放映されたので、それをいろんなひとに
みせたり」とか。こうしてアートリンクの社会での露出の機会は増えたのでいろんな人に
出てほしいと思うが、しゃべりが得意な人ばかりでもないので「出さなきゃよかった」と
笑い話になったり、ということもある。
そういうのを全部含めて、この子がいたから私こんなに楽しい、困ったことをプラスの
価値に思ってくれる人が増えたのがうれしいと思う。
Q9: 海外では障害者のアーティストが健常者の中に入ることで、子どもたちが違う存在に気づくということもある。
そうした展開の可能性は?
その人の住んでいる地域を使うなら分かりやすいし、顔が見えるつきあいができる。
逆に住んでいないところでやりかけて、うまくいかなかったこともあった。アクチュアリティを
ベースにしておかないと、リレーションシップは儚いな、と思う。
逆に活動の主旨にとことん惚れ込んでくれる人、やりたいといってくれる人もいる。韓国の
文化財団と東アジアアートリンクの提唱という話もある。国境を超えたつながりができたら面白い。
今回国際交流でフロリダに行く二つのペアも英語はほとんどしゃべれないが、表現のワークショップを
通して言葉以上のものが伝わると思う。ほんとに伝えたいものは障害を飛び越える。異文化だろうが、
いや異分野だからこそ伝わるものは伝わる。
ここに来る前もタイのアーティストと話した。マイノリティや障害のある人と情けで関わるのでは
なく、自分にないものを持ってきてくれる人として、それを受け入れ、自分の持っているものも
大事にしつつ、新しいものを作ろうと思える。受け皿の役目は、その気持ちをしっかり受け止めて
つないでいくこと。アーティストとはずっと対話を続けているし、我々のコンセプトが曲がらないように
伝えられるメディアを作ることも仕事のうちだ。
Q10: アートリンクパーティの参加者はどんな人?
昨年までの来場者は1週間で1000−1100人くらい。島でやると費用もかかるということで少なくなり、
今回は述べ500−600人。でも泊まりになったことで一念発起してやってくる人、まちづくりに
燃える東京の人や島づくりを考えているおじちゃん、いつかアートリンクをやりたいと思っている人、
というように深く展示を見る人が増えた。対岸の香川県の文化振興課も新しくアートリンクを始めようと
いう理由から来た。つながれたら面白いけど、あまり遠隔地になるとコーディネートするのは難しい。
正しく理解をしようとする人、創造的に新しいことをやりたいと思っている人が来てほしいと思う。
● 参考:企画間交流で呼んだコミュニティアート・ふなばしの山浦さんからのコメント
1週間行ってきました。会期前の手伝いだったので作品は見られなかったですが、
展覧会をやる前に関係を作ってきたことがよくわかりました。たき火をしているだけで
いろいろ地元の人が話しかけてくれた。作品になる前の日々のテキスト、日々の話の中で
出てくるものがたくさんある。生きるってどういうことなのか、毎日制作しながら自分が
禅問答のように考えさせる現場で、いい経験でした。
山浦さんが来て話してくれた1週間は、私にとってもよかった。こうして語れるコンテンツを
持ち帰ってくれたのはうれしい。
外からの目線で岡山のプロジェクトを語ってくれて構わないと思う。中の人は中の人で
外を見て、他者と葛藤を感じたり、違っているんだなあ、いろんな人がいるなあ、自分も
好きだなあ(自分も悪くないなあ)と思ってもらえれば、それで十分だと思う。