舞台芸術と著作権・契約/実務力がつく5日間 2009
2009年10月16日(金) 19時〜21時
福井 健策
(弁護士/日本大学藝術学部 客員教授)
《所 感》
本レクチャーでは、法律を実際に適用するさいにどうしても曖昧な部分が出てきてしまうことを理解した上で、万が一に備えた対策を考えなくてはならないのだということを学んだ。少なくとも創作側が無自覚に著作権侵害を行って莫大な損害賠償が発生しないように、制作担当者は気を配らなくてはならないと感じた。同時に、自由な創作活動を制限しないような環境づくりや、周囲との調整が必要なのだとも思った。また文化や芸術は時代の流れと共に変化していくものであり、自分なりの基準を持つことが大切なのだということを感じた。そしてそれに伴い、著作権も時代によって範囲や解釈が変わっていく為、決めつけずに幅広い解釈が必要であるということを認識した。作品創造は、素晴らしい作品ができて観客が感動して終わるのではないということを肝に銘じて、制作者ができるだけ権利問題を企画段階から創作後に至るまで気を使う必要があるということを強く感じた。
記録:鶴野喬子(世田谷パブリックシアター研修生)
(以下、一部の抜粋)
■「著作権(1):基礎編」10月16日(金)19時〜21時
5回シリーズ第1回目は、著作権の基本的な情報についてのレクチャー。
まず、「著作物」とは「創作的な表現」であり、その「情報」についてそれを創作した人に与えられる権利が「著作権」である。基本的に「情報」とは公に与えられたもので自由に使えるものであるが、創作的に表現された著作物については例外であり、著作権として守られている。著作権は、創作さえすれば自動的に発生し、著作者の権利として守られるものである。著作権はここ300年で形成されてきた新しく若い権利であり、時代の流れや社会状況によって解釈が変わっていくという点が重要なポイントである。よって、著作物と著作物でないものとの間に存在する微妙で曖昧なケースの判断が難しく、その判断も時代によって変わるため、著作物について考える時は自分なりの軸を持つことも大切だ。
例えば「ありふれた・定石的な情報」は著作物ではないが、そこに「その人なりの個性」が加わると「創作的な表現」になる。どこまでが「ありふれた表現」で、どこからが「創作的な表現」になるのか。それは社会が決めるのである。そのため、いわゆる「盗作」を争う裁判が起こることがある。そうした場合、「ありふれた表現」が似ているのは侵害にはあたらないが、「創作的表現」が似ているか、ということが判断のポイントとなる。
また、著作者(author)と著作権者(owner)は、言葉は似ているが、違う概念である。著作者とは「著作物を創作した者」であり、例えば共同や集団で創作したものはその集団で著作権を共有することになる。著作権は譲渡が可能であり、その場合は著作者と著作権者が分かれることになる。しかし、著作者には著作権を手放しても譲渡することのできない権利があり、それを著作者人格権という。氏名表示権(著作者についての表示内容を決定できる権利)や同一性保持権(内容や題名を勝手に改変されない権利)などがそれにあたる。
例外的に使用に許可がいらない場合もあり、それは制限規定と呼ばれる。例えば私的使用のための複製や非営利目的の演奏・上映・貸与、また引用などは基本的には許可は必要がない。しかし、著作物の使用が本当に制限規定の範囲内なのかということは常に問う必要がある。例えば、「引用」においてはいくつかの注意点があり、関連性がないものの引用やあきらかに引用箇所量が割合として多い場合などは引用とみなされず、使用に許可が必要な場合もある。
以上のように、著作物の内容についての判断はケースバイケースで、時代や社会的要請によっても範囲が変わってくるので、著作権を考える際はそこに注意すべきである。