1997年に開場した世田谷パブリックシアターは、2017年4月5日、開場20周年を迎えました。
4月6日に記者発表会を開催しましたので、その様子をコメント、写真を通してお届けいたします。
ごあいさつ/20年を振り返って
……… 公益財団法人せたがや文化財団 理事長/
世田谷パブリックシアター館長 永井多惠子
20周年を迎えることになりました。今から20年前のことを振り返ってみますと、皆様が想像しているような今のような形のパブリックシアター(公共劇場)というようなものはありませんでした。
財団設立は開場の前年の11月、半年もありませんでしたので、急ピッチで準備を進めました。
当初の劇場監督は皆様ご存じのように佐藤信さんでいらっしゃいました。特徴として中劇場が600席、小劇場シアタートラムが200席で、演劇とダンスを特徴とする劇場、ということは決めていました。それから、社会に何かを問いかける同時代性を意識した劇場にしよう、ということで一致いたしました。
オープニングのラインアップとしてヨーロッパからピーター・ブルックの『ハムレット』『ザ・マン・フー』、サミュエル・ベケット作『しあわせな日々』という実験的な作品群や、ダンスではカンパニー・マギー・マランなど海外から優れた作品を招聘することに成功しました。以降も、今世界的に注目されるようになったサイモン・マクバーニーの『ストリート・オブ・クロコダイル』などの印象的な舞台も日本に紹介することができました。これらの初期の作品群がこの劇場の芸術的な質や色(カラー)を決めたと思っています。
サイモン・マクバーニーとは後に共同制作をすることになりまして『エレファント・バニッシュ』という村上春樹さんの小説「象の消滅」を題材にした作品や、また谷崎潤一郎の小説「春琴抄」「陰翳礼讃」を舞台に発展させた『春琴』は10年ほど時間をかけてつくりました。こういうことができる劇場であるということが私どもの信条です。
そして、開場のお話に戻りますが4/5の開場記念式典、こけら落としはやはり『三番叟』だと。歌舞伎の『三番叟』なども検討したのですが、私がその数年前に狂言の『三番叟』を拝見しておりまして、これが実に素晴らしかったんです。そこで狂言の『三番叟』で、萬斎さんにお願いしようという話になりまして、それが今日の芸術監督・野村萬斎というものに結びついたのかなと思います。また、主劇場・世田谷パブリックシアターの本公演の幕開けはコンテンポラリーダンスの第一人者である勅使川原三郎さん。これほど日本でオリジナル性のあるダンサー・振付家はいないと思うのですが、彼の『Q』という作品で幕を開けました。
萬斎さんに芸術監督をお願いした理由といたしましては、この劇場はこの地域の皆さんのものですが、同時に日本の「文化」として、全国、また国際的にも発信をしていきたいと考えており、英国留学などを経験され現代演劇にも精通している萬斎さんなら世界に知られる戯曲を日本古来の伝統芸能のスタイルで表現し、海外に発信することができるのではないかと思ったからです。開場20年間のうちの四分の三の期間に関わっていただいた中で、萬斎さんの演出作品としてシェイクスピアの戯曲から『まちがいの狂言』『マクベス』などが出来ました。また、中島敦の作品を狂言のスタイルを取り入れながら現代劇として舞台化した『敦―山月記・名人伝―』という作品も特筆すべき成果だったと思っています。
20周年を迎えての今後の展望としては、今までの「同時代性」という路線を引き継ぎつつ、ネクスト・ジェネレーションである若手アーティストの方々の支援にも力をいれていきたいと思います。
開場20周年を迎えて
……… 世田谷パブリックシアター 芸術監督 野村萬斎
20周年を迎えて、感慨深いです。20年前の昨日4/5、世田谷パブリックシアターのこけら落としで『三番叟』を踏ませていただきました。劇場を踏み固めて、大きな実りを祈るという気持ちで踏ませていただいたのを思い出します。
その後もシェイクスピアの『間違いの喜劇』を翻案した『まちがいの狂言』(01年初演)などでこの劇場と交流を深め、02年に芸術監督のお話をいただき、就任いたしました。当時、36歳でした。私は94~95年にイギリスに留学しており、ピーター・ブルック、ロベール・ルパージュ、サイモン・マクバーニーなど――この劇場が招聘したりともに創作してきた方々ですが――彼らの才能に触発され、また公共劇場や芸術監督のあり方を見て、演劇が社会貢献する現場を目の当たりにしてきました。ですので開場からの5年間で劇場監督・佐藤信さんのもと築かれていた、地域に根差し、また実験的な作品を生み出すという世田谷パブリックシアターの「色」には共感を抱いており、私が思い描いていた劇場像がここでなら実現できる、と思いました。
また、この劇場は演劇とダンスを中心とした劇場ということで、伝統芸能もその二面性がありますので、私の経験も生かせるのではと感じました。日本の舞台芸術はバリエーションに富んだ、まるで佐渡金山のような宝の山だと感じています。先ほど名前をあげたような海外の第一線で活躍するアーティストたちも日本文化に触発されて作品を生み出されていらっしゃいますが、私としては、日本人こそが自らのアイデンティティをもとに作品を創り世界へ発信するべきだろう、と留学経験などを経て感じておりましたので、そのような作品をぜひこの劇場で創っていきたいと大きな夢を抱いて芸術監督に就任いたしました。
就任時に立てた3つの芸術監督方針は、15年揺るいでいません。
まず「地域性、同時代性、普遍性」。これは、狂言の台詞「このあたりのものでござる」から来ているのですが、まず私どもの「このあたり」とは世田谷・三軒茶屋のことであり、そこから東京、日本、アジア、世界へと同心円状に広がっていくような普遍的な作品、時代を映す同時代的な作品を創っていきたいと考えています。
そして「伝統演劇と現代演劇の融合」。狂言師として感じるのは、古典には数百年の知恵の集積があるということです。私自身も狂言の発想・技法で演出した現代劇を国内外で上演させていただいていますし、ここで作品を創ってくださるアーティストの方々も「現代能楽集」などの企画を通して古典に触発され、自身の新たな才能を発見したり、舞台芸術の可能性を広げるような作品を創っていただいています。
最後に「レパートリーの創造」。公共劇場としては、日本の文化財として残せるような作品を創っていくことがひとつの使命だと思っていますし、伝統芸能の継承者としても、時代を経ても楽しめるような、古典に伍すような息の長い作品を創りたいと思っています。再演を重ねることで洗練を繰り返し、日本・海外で共有されるというのが理想ですね。
また演劇やダンスを中心とした作品創造・上演とともに、ワークショップなど地域に根差した普及啓発・人材養成事業も公共劇場の大切な役割です。地域のコミュニティとして演劇活動に皆さんをひっぱりこみながら、これからも人が集う場、人間が出会う場所として世田谷パブリックシアターが存在できたらと思います。
撮影:平岩享