ワークショップ・レクチャー

『公共空間と劇場のポリティクス/対話編(その3)』

日本における公共劇場が、「公共」の「劇場」として機能し、日本の社会の中で成立していくために、あらためて向き合わなければならない「公共」という概念と演劇/劇場空間との関係性について考えるレクチャーシリーズです。
今回は、震災および原発事故に焦点を当て、今現在の世界で文化的活動がいかにして可能なのかを、ゲストの方をお招きしてさまざまな角度から考察します。ゲストのお話を出発点として、演劇評論家の鴻英良さんを聞き手にディスカッション形式で進めていきます。

 
 
日程 2011年
(1)「原発問題と美術的表象の可能性と限界」
10月25日(火)19時~21時30分
ゲスト:住友文彦(キュレーター)
聞き手:鴻英良(演劇評論家)

(2)「チェルノブイリとソヴィエト・ロシアの解体」
11月22日(火)19時~21時30分
ゲスト:塩川伸明(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
     沼野充義(東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授)
聞き手:鴻英良(演劇評論家)

(3)「3.11震災以降における公共劇場の使命」
11月29日(火)19時~21時30分
ゲスト:松本小四郎(水戸芸術館演劇部門芸術監督)
聞き手:鴻英良(演劇評論家)

(4)「震災・原発事故から国家と国民の関係を考える―私たちの権利とは何か」
12月14日(水)19時~21時30分
ゲスト:小島延夫(弁護士/東京駿河台法律事務所)
聞き手:鴻英良(演劇評論家)

---------
第4回「震災・原発事故から国家と国民の関係を考える―私たちの権利とは何か」は、 ゲストの体調不良のため中止となりました。
ご来場を予定されていましたお客様には深くお詫び申し上げます。
---------
 
 
内容 (1)「原発問題と美術的表象の可能性と限界」

視覚表現は前世紀を通じて、その形式の幅を拡張してきた。しかも、見えないものを対象にすることにも大きな関心が払われていたと言えるはずだ。原発も例外ではない。しかし、美術作品を見ると人間と対象との関係性が、社会や科学、政治などの影響を受けて変化することを教えてくれるが、原発を相手にするときは、もしかしたらこの人間の位置が定めづらい。 今回は、多くの事例を並べることよりも、私たちが見知っている出来事や作品を通して、この関係性がどう現れているかについて考えることができればと思っている。原発に限らず、強大な力を持つもの、不確かなもの、と向かい合ってきた表現を参照することにも意義があるのではないだろうか。(住友)

原爆の図と言えば、ただちに丸木美術館に展示されている丸木俊・位里夫妻の連作が思い出されるが、はたして、原爆ではなく、原発の図というのはどれほどあるのだろうか。私が知っているものと言えば、唯一、アーティストの山口啓介に版画やインスタレーション作品からなる「原子力発電所シリーズ」があるということぐらいだ。それもたまたま彼が私の古くからの友人であるという偶然によっている。スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故はどのようにアーティストたちに受け止められ、それはどのように美術的に表象されてきたのか。あるいは、原発労働の現場、また日本では70年代にはじまる原発訴訟など、これらはどのように批判的に図像化されてきたのだろうか。そして、フクシマを契機に、アーティストたちはどのような動きをみせているのだろうか。たとえば、チムポムたちのゲリラ的な動きは美術史的にどのように評価されるのか、優れた批評性を持って活動するキュレーターの住友文彦氏に、こうしたことの実態とそれに関する評価を聞いていきたいと思っている。(鴻)

(2)「チェルノブイリとソヴィエト・ロシアの解体」

ゴルバチョフとペレストロイカについてはいくつかの謎がある。ペレストロイカ前夜のソ連は、各種の矛盾をはらみつつも一応の安定を保持しており、「爆発寸前」的状況にあったわけではない。ペレストロイカは「下からの反乱」ではなく、最高指導者が音頭をとる「上からの改革」として始まった。では、それがどのようにして激変と解体に転じたのか。ゴルバチョフは「同時にローマ教皇でもあり、ルターでもあった」と言われる。そのようなことがどうして可能だったのか。こうした問いに答えるためには、ペレストロイカが固定的なものではなく、変化を含み、時間とともにエスカレートしていったことを押さえておかなくてはならない。そのようなエスカレートの最初のきっかけがチェルノブィリだったが、その後もいくつかの節目があり、最終的な解体に行き着いた、その過程を追ってみたい。(塩川)

チェルノブイリの原発事故は、折からのペレストロイカの「自由化」の波の中で、新たにスローガンとして叫ばれていた「公開性」(グラスノスチ)の試金石の役割を果した。ソ連当局は例によって事故についてすぐには公表しようとしなかったが、このような大惨事を国際社会の眼から隠し通すことなどとうてい不可能であり、すぐにソ連国内でもマスコミやジャーナリズムが大々的に報道することになった。 この事件を通じて、ソ連の「言論」のあり方がどう変わったか、また文学者やジャーナリストの意識がどう変わったかは容易には判断できないし、そもそも事故の経験を反映した優れた芸術作品が多く生み出されたとも言いにくいが、少なくとも、従来のソ連の検閲と禁止の時代から言論が激しく変化していくプロセスのさなかにチェルノブイリがあったことの意味は大きいと言えるだろう。グーバレフ、アレクシエーヴィチなどの著作を手がかりに、その意味を改めて考えてみたい。(沼野)

1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原発事故は世界を震撼させた。あの事故の教訓を人類は生かすことができたのか。そうした問いを発するとしても、それはあたかも他山の石であるかのように日本では受け取られてきた。日本はソヴィエトとは違う、日本の原発は安全なのだと多くの人が語ってきたのだ。ところで、この事故を受けて、たとえば住民避難に関してなど、ソヴィエト政府はどのような対応をしてきたのか。まずはそれを日本政府の対応と比較しなければならない。だが、事態はさらに複雑である。1985年3月、ソヴィエトの最高指導者になったゴルバチョフがペレストロイカ(立て直し)とグラスノスチ(情報公開)を進め、それがやがてソヴィエト連邦の崩壊をもたらしたということはよく知られていることだが、チェルノブイリ事故はその出発点の只中で起こったのである。はたしてソヴィエトにおけるこの政治的、文化的な動きとチェルノブイリ原発事故とはどのような連関のうちに捉えられるべきなのだろうか。そして、さらにはソヴィエトの文化人、芸術家たちはこの事故にどのように応答したのだろうか、と問わなければならない。ソヴィエト・ロシアの政治史、あるいは芸術・文化の専門家である塩川伸明、沼野充義の両氏に、その具体的な事例について伺いつつ、それらの歴史的な位置づけ、分析を試みてみたい。そのことによって、われわれ演劇活動を通じて公共の場に関わる者たちが、フクシマ原発後の世界においてどのような芸術活動をこれから展開していくべきかについて考えていきたいと思う。(鴻)

(3)「3.11震災以降における公共劇場の使命」

水戸芸術館は9月11日に再開しました。
今回の震災、津波、福島原発事故、日本全土を襲った豪雨、洪水などから見れば、公共劇場など微々たる存在に思えて仕方ありません。わずか20数年の歴史にすぎない公共劇場の歴史など、多くの国民の記憶に残るはずもありません。多大な被災を受けた地域からは、切実な悲鳴に似た声があがっています。今、公共劇場を再建するにはやるべきことは山積みです。ただ、こう否定的なことばかり言っていても明日は訪れます。今回は、その明日を今日よりも良くするために私たちがすべきことが何なのか、草の根を分けてでも探しだし、一つずつ実行していくべきことは何なのかについて考えていきたいと思います。(松本)

3.11の地震で水戸芸術館の建物と設備はかなりのダメージを受けた。しかも、福島原発からそう離れていないこの場所は、放射能汚染などにも苦しめられている。事故はいまだ収束していない。さらに復興のための財源などを考えると、芸術活動に向ける予算が削減されることはただちに想定されるが、しかし、そのような困難な時に、芸術活動を続けることの意味はなんなのだろうか、とわれわれは改めて問わなければならないだろう。それゆえ、≪公共≫の≪劇場≫として先駆的な役割を果たしてきた水戸芸術館は、その存在の意味とあり方を改めて問われているにちがいない。そうしたなかで、人間の生活の中での、あるいは共同体の在り方の中での芸術の役割、その使命といったものが何であるかをわれわれはかんがえていかなければならないだろう。たとえば、「水戸芸術館を、水戸、そして茨城の復興の拠点に! 芸術によってその復興の姿を構想する。」というようなスローガンを私は提唱したいと思うが、それは、そもそも芸術は、そしてとりわけ演劇は、古代ギリシア以来、ポリスの在り方を構想する場所であったし、人々のより良き生の形式を考える場所であったからである。だがそのようなことは、原発事故をも抱えている震災後の世界で、どのような具体的な芸術活動によって可能になるのか、そうしたことを私は水戸で活動を続けてきた松本小四郎氏と考えていきたいと思う。(鴻)

(4)「震災・原発事故から国家と国民の関係を考える―私たちの権利とは何か」
※近日掲載予定
 
 
場所 (1)(4)世田谷文化生活情報センター セミナールームA(三軒茶屋駅前キャロットタワー5階)
(2)(3)世田谷文化生活情報センター ワークショップルームA(三軒茶屋駅前キャロットタワー4階)
 
 
講師 《プロフィール》
鴻英良(おおとり ひでなが)
演劇評論家。著書に『二十世紀劇場―歴史としての芸術と社会』(朝日新聞社)、野田秀樹との共著に『野田秀樹;赤鬼の挑戦』(青土社)、巻上公一との編著に『反響マシーン:リチャード・フォアマンの世界』(けい草書房)、翻訳に『イリヤ・カバコフ自伝ー60年代ー70年代、非公式の芸術』(みすず書房)、『タルコフスキー日記』(キネマ旬報社)など。

(1)住友文彦(すみとも ふみひこ)
1971年生まれ。東京都現代美術館などに勤務し、昨年は新しいドキュメンテーションの表現に注目したメディアシティソウル2010(ソウル市美術館)の共同キュレーターをつとめる。 「Possible Futures:アート&テクノロジー過去と未来」展(ICC/東京/2005)、「川俣正[通路]」(東京都現代美術館/東京/2008)、ヨコハマ国際映像祭2009などを企画。

(2)塩川伸明(しおかわ のぶあき)
1948年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科教授。比較政治・ロシア政治専攻。現下の主要な関心はソ連邦解体過程の歴史的研究。近著に、『民族とネイション――ナショナリズムという難問』(岩波新書)、『冷戦終焉20年――何が、どのようにして終わったのか』(勁草書房)、『民族浄化・人道的介入・新しい冷戦――冷戦後の国際政治』(有志舎)など。

沼野充義(ぬまの みつよし)
1954年生まれ、ロシア・ポーランド文学、文芸評論。ハーバード大学ティーチング・アシスタント、ワルシャワ大学講師などを経て、現在、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授(スラヴ語スラヴ文学、現代文芸論)。著書『ユートピア文学論』『亡命文学論』(作品社)、『W文学の世紀へ』(五柳書院)、訳書『新訳 チェーホフ短篇集』、ナボコフ『賜物』、レム『ソラリス』、シンボルスカ『終わりと始まり』など。

(3)松本小四郎(まつもと こしろう)
1947年生まれ。パリ国立高等研究所博士課程を修了。1989年より水戸芸術館ACM劇場芸術監督に就任。数多くの現代演劇の新作公演の企画・制作をする一方で、開館5周年記念事業として企画した「現代日本戯曲体系1~4」によって日本の現代演劇のレパートリー化を始める。同じく開館5周年記念事業として開催した「現代ダンスフェスティヴァル」の芸術監督として現代フランスダンスの招聘及び日仏共同制作による新作公演などの功績により1998年フランス芸術文化功労章を授章。最近ではシリーズ「日本の劇作家たち」を自ら企画、演出。

(4)小島延夫(こじま のぶお)
1984年弁護士登録(東京弁護士会)。1989年から途上国における先進工業国が関与した環境破壊の問題に取り組む。それと並行して、東京都文京区での町並み保全、2001年からは居住地である埼玉県川越市のまちづくりの問題に取り組む。アメリカ合衆国のオレゴン州ポートランドやカルフォルニア州サンフランシスコ、ドイツやデンマーク、オランダなどのまちづくりも調査研究し、都市法について意見書をまとめる。3.11後日弁連震災本部で福島第一原発問題で意見書を多数まとめる。2004年から5年間、早大法科大学院で教授(行政法、都市法、公益民事弁護活動等)、現在、早大法科大学院非常勤講師、立教大学法科大学院非常勤講師。

 
 
参加費 各回1,000円
※受講当日に会場にてご精算いただきます。
※ポイントカード対象レクチャーです。ポイントカードとは世田谷パブリックシアターのレクチャーを5回受講頂くと、1 回無料で受講頂けるお得なカードです。
 
 
対象 40名程度
※先着順に受付いたします。定員に達し次第、受付を終了いたしますので、あらかじめご了承ください。
 
 
申込み方法 以下申込みフォームか、または劇場(03-5432-1526)までお申込みください。
 
 
お問合せ 世田谷パブリックシアター学芸 03-5432-1526
 
 
備考 [協賛] アサヒビール株式会社/東レ株式会社
 
 
受付は終了致しました。
ひとつ前のページへ戻る