ワークショップ・レクチャー

『公共空間と劇場のポリティクス/対話編(その1)』
パブリックシアターのためのアーツマネジメント講座2010

日本における公共劇場が、「公共」の「劇場」として機能し、日本の社会の中で成立していくために、あらためて向き合わなければならない「公共」という概念と演劇/劇場空間との関係性について考えます。民衆演劇、古代ギリシアの演劇、街における公共空間の3つをキーワードに3名のゲストをお迎えします。ゲストの方のお話を出発点として、鴻英良さんを聞き手にディスカッション形式で進めていきます。

 
 
日程 2010年
(1)Vol1. 「被抑圧者の演劇」  
7月2日(金)19時~21時30分
ゲスト:里見実(国学院大学非常勤講師) 聞き手:鴻英良(演劇評論家)
(2)Vol2. 「ギリシア演劇とその社会的・もしくは政治的、あるいは歴史的背景」
7月17日(土)19時~21時30分
ゲスト:久保田忠利(東海大学教授) 聞き手:鴻英良(演劇評論家)

(3)Vol3. 「公共圏の私物化と芸術家の活動」
8月5日(木)19時~21時30分
ゲスト:小川てつオ(カスリッパ) 聞き手:鴻英良(演劇評論家)
 
 
内容 (1)Vol1. 「被抑圧者の演劇」
 劇場は人が集まる場だが、その内部空間は舞台と客席に区切られている。演ずる者と観る者が分化することによって、演劇は、始原としての遊びや儀礼から分離して演劇になった。しかし集会の場、相互的なコミュニケーション行為の場として演劇を考えるときに両者の断裂をどう越えるかがあらためて問わることになる。応答は一様ではない。舞台を離れてワークショップにのめり込んでいくアウグスト・ボアール(ブラジル)の活動スタイルと、あくまでも舞台と劇団システムにこだわりながら集団創作を持続するサンティアゴ・ガルシア(コロンビア)のスタイルは対照的だが、演劇の社会への関わり方を問い続けているという意味では両者の問題意識は共通している。射程としてはラテンアメリカの社会派演劇のこの二つの軌跡を対比的に論じたいのだが、今回はとりあえずボアールの「被抑圧者の演劇」に重心をおくことになるだろう。人々が「行為」から疎外されているそのことこそが「抑圧」の端的な姿なのだというコンセプトに出発する彼の「討論劇」や「見えない演劇」の実践は、演劇が社会の中で息づくその一つのありようを示しているように思われる。 (里見)

 被抑圧者の演劇とは何か、こうした問いはあまり一般的ではないかもしれない。だが、演劇が、被抑圧者の抵抗の場として実践されてもいたのだということをわれわれはあまりにも知らなすぎる。私はそうした実践の数々を知りたいと思う。とりわけ、亡命を強いられる形で南米を転々とさせられながら民衆演劇を実践し、公共と生産の場で演劇活動を続けていったアウグスト・ボアールの具体的活動と、その後継者たちのいまとを見据えながら、抑圧されてきたものたちの演劇はいまどのような形で現実化されなければならないのか、その戦略について、多くの実践を重ねてきた里見実氏に、今日的な視点から問いただしたいと思う。(鴻)

(2)Vol2. 「ギリシア演劇とその社会的・もしくは政治的、あるいは歴史的背景」
 古代ギリシアの演劇といえば、それは紀元前5世紀の三大悲劇詩人の作品、例えばアイスキュロスの『アガメムノーン』、ソポクレースの『オイディプース王』、エウリーピデースの『メーデイア』などに代表される悲劇作品のことであろう。このような悲劇作品は、アテーナイ(現アテネ)というポリス(都市国家)が執り行うディオニューソス神の祭の行事の一環として、ディオニューソス劇場においてコンテスト形式で上演されたものである。しかし、上演されたのは悲劇だけではなく、喜劇もまた同様に上演されていたのである。「裁判」を扱った劇を例に、この二つのジャンルと社会との関係を具体的に考えてみたい。また、喜劇による悲劇の批評やパロディという事例も取り上げてみたい。(久保田)

わたしたちの多くはギリシア悲劇に魅了されてきた。しかし、そのようなときに、われわれの多くの心を捉えたのは、その普遍的な力であったのではないのか。しかし、それらの劇は、ある時期に、ギリシアという特定の場所で生まれてきたものでもあるのだ。いったいどのような社会で、どのような要請のもとで、このような魅力的な作品が生み出されてきたのか。私はギリシア演劇の専門家である久保田氏に対して無数の質問を投げかけたいと思う。(鴻)

(3)Vol3. 「公共圏の私物化と芸術家の活動」
 渋谷・宮下公園で、ナイキパーク化反対のために、テントを張っている。3月半ば以来、見事に工事は止まり、公園は空き地に近づいている。果たして、空き地には誰がくるのか。腕を組むぼくらが、番人の姿に似てきてしまっている問題。都市や企業と複雑に関係しているぼくたちは、公園をそれらの機能の外に腑分け出来るのか。格差や暴力などの埋蔵されていた問題が、日々立ち上がっている。そこから分かったことをていねいに考えてみたい。(小川)

 渋谷区立宮下公園をグローバル企業のナイキがその広告塔に使うということに対しては、多くの反対運動が起こっているが、これは公共空間がひとつの企業が私物化するということにほかならず、そうした事態に対してアーティストたちも反対運動を起こしている。しかし、その反対運動の根拠は何か、そのことは必ずしも明らかではない。私はここで、その運動の中心にいる小川氏に、公共空間は誰に向けて開かれているのかなど、公共空間における人間の権利などの問題をさまざまなかたちで問い質して生きたいが、そのことは演劇が公共圏とどのようにかかわりつつ、その芸術的な使命を果たしてきたかを考えるためのきわめて重要なポイントになると思う。(鴻)

 
 
場所 世田谷文化生活情報センター セミナールーム (三軒茶屋駅前キャロットタワー5階)
 
 
講師 《プロフィール》
鴻英良(おおとりひでなが)
演劇批評家。著書に『二十世紀劇場ー歴史としての芸術と社会』(朝日新聞社)、野田秀樹との共著に『野田秀樹;赤鬼の挑戦』(青土社)、巻上公一との編著に『反響マシーン:リチャード・フォアマンの世界』(けい草書房)、翻訳に『イリヤ・カバコフ自伝ー60年代ー70年代、非公式の芸術』(みすず書房)、『タルコフスキー日記』(キネマ旬報社)など。

里見実(さとみみのる)
教育学専攻。中心領域は学習論、社会科教育論、開発教育論などだが、国学院大学退職後はラテンアメリカを中心にした民衆文化運動の翻訳と紹介に仕事の重点をシフトしている。著書『ラテンアメリカの新しい伝統』(晶文社)、『学ぶことを学ぶ』(太郎次郎社)、『学校でこそできることとは、なんだろうか』(同)、『タイの農村再生運動に学ぶ』(農文協)、『パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む』(太郎次郎社)ほか。訳書にボアール『被抑圧者の演劇」(共訳晶文社)、フレイレ『希望の教育学』(太郎次郎社)など。

久保田忠利(くぼたただとし)
西洋古典文学専攻。主に古代ギリシアの悲劇と喜劇。悲劇関連ではエウリーピデース『タウリケーのイーピゲネイア』(岩波文庫)、「ギリシア悲劇用語解説」(岩波版ギリシア悲劇全集別巻収録)。喜劇関連ではアリストパネース『鳥』、同『断片』の翻訳、「アリストパネースとその時代」(いずれも岩波版『ギリシア喜劇全集』収録)。

小川てつオ(おがわてつお)
1970年生。96年から、様々な家で「居候ライフ」、03年から、都内公園テント村で、ホームレス。まともな生活には、あまり興味がない。08年から、宮下公園のナイキ化の問題に関わる。他に、アートと排除を考える246表現者会議、物物交換カフェ「エノアール」、介助者の横断組織「かりん燈関東」を立ち上げる。
 
 
参加費 各回1,500円
※受講初日に会場にてご精算いただきます。
※受付は15分前より開始、お申込後キャンセルの場合は必ずご連絡ください。

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★「レクチャープログラム回数券」販売のお知らせ
世田谷パブリックシアターのレクチャーにお得な料金でご参加いただける2種類の回数券 を販売します。
世田谷パブリックシアターで2010年度内に開講される以下の講座(60程度)がすべてが 対象です。
・パブリックシアターのためのアーツマネジメント講座
・世田谷パブリックシアター シアターゼミナール
・上演作品レクチャー
・世田谷アーティストトーク

(1)18~24歳の方
種類:5回券 4,000円 【1講座当たり800円】
販売方法:オンライン販売(U24) 

(2)一般の方
種類:5回券 6,000円 【1講座当たり1,200円】
販売方法:オンライン販売 

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募集人数 30名
※先着順に受付いたしておりますが、万が一定員に達してご参加いただけない場合はご連絡いたします。
 
 
申込み方法 以下申込みフォームか、または劇場(03-5432-1526)までお申込みください。
 
 
お問合せ 世田谷パブリックシアター 学芸 03-5432-1526
 
 
備考 [助成] アサヒビール芸術文化財団
平成22年度文化庁芸術拠点形成事業
 
 
受付は終了致しました。
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